過去をすべて切り捨て新たな生きる道へ
「除染現場から浅草に逃げ移ってから、それ以前の歴史は途絶えています。浅草に来て新たにできた人間関係だけですね。主にSNSがらみです。小さいころや学生時代の記憶はありますけど、写真もない。そのころのことを話してくれる人間もいません」
赤松にはアメリカ在住の妹がいるが、現在はまったくの没交渉だという。
「最後の除染現場がもろ反社だったんで、追いかけてこられるのが怖かった。当時のスマホはこっち着いたときに、位置情報がバレたら困るから全部捨てましたからね」
年収2000万円超えだった男は過去を捨て、日銭を求め漫画喫茶からネットで100社以上に応募しまくった。ひっかかったのは3つだけ。
「最初は新宿のキャバクラです。電話したらスーツで来いと。作業着しかないと伝えると“歌舞伎町なら1万円もあれば買える”と言うんで、今の全財産5000円ですと言ったら電話を切られた」
2軒目はかなり長い返信メールが来た。
「最初に“お客様にお店をご案内するお仕事です”とあり、いろいろ書いてあるんだけど、最後に“捕まっても自己責任でお願いします”と。3軒目は上野の仲町通り。キャバクラと聞いて行ったら、女の子がおっぱい出して客が揉んでた。おっパブですわ。結局、そこに就職しました」
赤松が入社する前から働いていた同僚の久保田氏は、初めて会ったときのことを今でも覚えているという。
「よく晴れた日の夕方でした。よれよれのスーツを着た先生が店の前に立っていたんです。最初は客かと思って素通りしました。風俗とか水商売とかの世界にいる人じゃないんですよね、雰囲気が」
赤松が提出した履歴書には出身大学や過去の勤務先、趣味で小説を書くことまで、びっしり記載されていた。
「私も風俗業界が長くて面接も200人以上やりましたが、あんな履歴書は初めて。過去を書きたくない人がやっぱり多いですから。賞罰の前科とかね」(久保田氏、以下同)
久保田氏は“そうか、小説を書く先生か”と思い、赤松が入社したときから「先生」と呼んでいた。
「先生は不思議な人。店内で酒乱の客が暴れたり、店外でキャッチが殴り合いになると、先生が必ず見てる。変な嗅覚を持っていました。街の空気にも敏感で“今日の街は荒れていますね”とか空気を嗅ぎ取る。すごいと思いました」
赤松は、店での日常をしばしば文章で記録した。
「先生の書く『おっパブ物語』本当に面白かった。あと、ほとんど口をきいていないはずの店の嬢たちにも、不思議と先生は好かれていましたね」
だが、そこは風俗の現場。
「やっぱり普通じゃない人が多い。その世界の普通ではない先生は浮くんですよ。目の敵にする人間もいました」
久保田氏も言うように、底辺の労働環境で赤松は人間のゲスな側面を徹底的に見せつけられた。
「私もカンバンのときには、ズボンの尻ポッケに文庫本を入れていただけで“こんなもん読んで、どこでサボってるんや”と叱られました。サボる時間なんかない。カンバンは一日看板横に立って“いかがすか”って言うのが仕事ですから。一番ひどいと感じたのは、私の後に30歳ぐらいの若い社員が入ってきたとき。上の連中が彼に“おまえは髪が長い。丸刈りにしろ”と。みんなもっと髪長いのに、なんでそんなこと言うんやろと思ってた。その子が丸刈りにしてきたら、髪で隠していた顔のあたりに、タトゥーでいっぱい落書きされてたんです。前の職場で受けたいじめの痕跡。それ見てみんなで笑い者にしてたわけですよ」
苦々しく語る赤松。吐き気を催す光景だ。階層の下にいる者が、さらに下にいる者を踏みにじって笑う。しかしこの体験こそが、赤松文学のテーマである差別と貧困に結実したのだろう。
「除染現場を逃げてから何でもやった。例えば、交通誘導員やスーパーの店員。コンビニスタッフも。全部の仕事に共通していたのは、いじめです。自分より下を見つけていじめる。彼らが馬鹿の一つ覚えのように口にする言葉が“自己責任”。私がスーパーで冷凍室に閉じ込められたいじめも自己責任らしいです」
エッセイ集『下級国民A』で、赤松はこう書いている。
《“上級国民”があるのなら、その対語は“下級国民”だろう。確かに末端土木作業員や除染作業員に従事するしかなかった私は“下級国民”だった。しかし今の日本で、それは特別な存在なのだろうか。どこにでもいる存在なのではないだろうか》
驕るな。調子に乗るな。見下すな。おまえだって下級国民だ。その思想は、最新刊『救い難き人』に通底するテーマでもある。主人公の在日韓国人・マンスは、金への欲に取り憑かれ、身内を欺き、女を陵辱する最低の人物だが、その救い難さは、はたして彼だけのものなのか?と赤松は問いかけるのだ。