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ー 被害者遺族の悲痛な叫び
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ー 傍聴席から発せられた言葉

 '19年4月、東京・池袋で旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三受刑者(当時87)が運転する車が暴走し、松永真菜さん(当時31)と長女・莉子ちゃん(当時3)の2人の命が奪われ、そのほか7人が重軽傷を負う大事故に。2021年9月2日、東京地裁は飯塚受刑者に対して禁錮5年の判決を下していた。

 今は刑務所に収監されていた飯塚幸三受刑者(92)にさらなる判決が下された。10月27日、被害者遺族が損害賠償を求める裁判で、東京地裁は受刑者側に約1億4000万円の賠償を命じたのだ。

 事故当時、飯塚受刑者がすぐに逮捕されなかったことから、警察が旧通産省工業技術院の元院長という高級官僚だった受刑者に忖度したのではないかと問題視された。受刑者自身も世間から“上級国民”と揶揄されて多くの批判が殺到した。

 さらには公判での受刑者の”ある態度”にも非難が集まることに。取材メモから当時の様子を振り返る。

◆       ◆       ◆

「被告には反省の情がありません。心からの反省、回顧も拒否し、被害者遺族に苦痛と絶望を与え続けたことは、強い非難に値します」

 2021年7月15日、東京地裁で飯塚受刑者に自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)を問う第9回目の公判が行われた。

 検察側の論告求刑の前に、被害者遺族たちによる意見陳述が行われた。

 まず、証言台に立ったのは真菜さんの父親・上原義教さん。

妻(故人)と18歳で出会って結婚。子ども5人に恵まれた。裕福ではなかったけれど、笑いの絶えない家族でした。三女の真菜は私そっくりでした。幼いころは人見知りで母親の影に隠れるような子だったけれども、妹や弟の面倒を見てくれる優しい子でした。きょうだいの中でリーダーシップをとるような子でもあった

 真菜さんの6歳上の姉(長女)の思いは、弁護人が代読した。

真菜は勉強ができて、物静かで、冷静で、真面目で、友だちが多い子でした。誰にでも平等だったから、信頼されていたのでしょう。母親の闘病も支えてくれました。私の結婚式のときは、手造りのブーケも造ってくれました

 続いて、真菜さんの妹(四女)の思いを弁護人が代読。

幼いころから、真菜の後ろを着いて行っていました。真菜を頼りにして、ずっと甘えていたと思います。私の生まれた子どもは、莉子ちゃんに似ています。ママになった私を真菜に見せたかった

 真菜さんの弟(長男)は、証言台に立ってこう語った。