正しい伝統を学ぶことが本物を知ることに
'70年代初頭、日本ではいちごのショートケーキやアップルパイが人気のお菓子として君臨していた。先述の研修旅行に参加した菓子職人は、「ショートケーキを超えるような派手なお菓子を見たいと思っていた」という。
「ふたを開けると、ザッハトルテなど、見た目には地味なお菓子ばかりが紹介されたので、『これでは売れない』とみんながっくり肩を落としていました。しかし、私はヨーロッパの伝統菓子が、同じ形と名前で何世紀にもわたって愛され続け、食卓の文化遺産として定着していることに衝撃を受けました。日本ではおやつに過ぎないお菓子が、文化として根づいている─、そのことを伝えたいと思うようになったんですね」
熱は冷めることなく、今田さんは短期留学を繰り返し、ヨーロッパの伝統菓子を学んでいく。中でも、マリー・アントワネットをはじめとした、お姫さまが愛したお菓子に魅せられた。
「私は身体が弱かったから、遠くへ遊びに出かけることが限られていました。かごの中の鳥のように育てられるお姫さま生活に、シンパシーを感じたんでしょうね。フランスの美食辞典『ラルース・ガストロノミーク』に記載されていることはもちろん、アントワネットの故郷を訪ねて取材するなど、可能な限り伝統文化を肌で感じるようにしました。プロの世界とは、正しい伝統を知ることだと気づかせてくれたんですね」
新宿髙島屋4階にあるティーサロン『サロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコ』では、マリー・アントワネットが愛したお菓子を、資料に基づいて再現した「マリー・アントワネット妃のお菓子たち」を食すことができる。今田さんが伝えたお菓子を食べることで、私たちはマリー・アントワネット妃の素晴らしい世界を追体験することができるのだ。
今田さんの生徒で第1期生でもある、『きょうの料理』(NHK)などに出演し、長年、アシスタントとして行動を共にしてきた菓子研究家の小菅陽子さんは、「先生からの教えで大切にしていることは、本物を求めるという姿勢です」と話す。
「書物からだけではなく、今田先生は体験からもお菓子の歴史をひもといていく。洋菓子の世界において、五感で感じてきたものを伝えるということを実践したのは、今田先生が初めてです。私も現地まで足を運ぶことを心がけています。今は、情報がとても多く、どれが本物かわかりづらい。だからこそ、今田先生の教えが響く」(小菅さん)
本場ヨーロッパの伝統菓子に触れ続けた今田さんは、伝道者として日本に洋菓子ブームを起こしていく。'74年に発刊された『ぶきっちょにも作れるケーキとクッキー』(主婦の友社)は、全国の女子高生たちの流行本となり、「パティシエ」というまだ耳慣れない職業が、彼女たちの夢の第1位に選ばれるまでに躍進した。
「女性誌『non-no』でチーズケーキの作り方を掲載すると、家庭で作れる身近な洋菓子として全国に広がりました。私が、『伝統のお菓子を紹介しただけです』と告げると、編集長は、『伝統は永遠の流行です』とおっしゃった。この言葉が、今日までお菓子の道を歩み続ける励みとなり、座右の銘になりました」
例えば、アフタヌーンティーの習慣は、イギリスの第7代ベッドフォード公爵夫人のアンナ・マリアが19世紀に始めたものだが、現在の私たちの生活にまで浸透している。なぜ、そうした文化が残り、貴族でもない私たちは、今なお嗜んでいるのか?
アフタヌーンティーのシンボルである3段のティースタンドを前にして、今田さんがまさしく「先生」のように説明する。
「アフタヌーンティーの習慣は、サロンで行われていました。サロンは、紅茶を飲みながら、夫の悪口を言ったり愚痴をこぼして輪ができる場所。そして、サロンのテーブルは食卓ではないため小さかったんですね」
場所を取らない3段のティースタンドは、狭いテーブルでも気兼ねなくお茶菓子を楽しめるように生まれたそうだ。歴史を知ると、目の前のティースタンドから物語が見えてくる。なんだか得した気分である。
本来、広いテーブルであればティースタンドは必要ないそうだが、「お茶を飲みながら優雅な気分でお互いに心が癒される。今の時代にも必要ですよね(笑)。それに、お姫さま気分を味わいたいという人は、いつの時代にもいらっしゃる」
伝統は、時代に必要とされている文化。らせん階段を上るように、決して同じ場所は通らないが、めぐりめぐって永遠の流行となる。