助産師になるにはまず看護学校に4年間通って看護師の資格を取得し、その後助産師学校で1年間学び、国家試験にパスする必要がある。なんとも長い道程だが、
「もう二度と繰り返せないというくらい大変でした。その大変さを知らずに飛び込んでしまったので(笑)」
と振り返る。
医療というバックアップがない場所での出産はおすすめはできない
「覚えることは山ほどあるし、定期試験もある。特に大変なのは病院での実習で、リポートの提出もあって睡眠時間は1日2〜3時間。そうなると家のことはほとんどできなくなるので、実習期間中の1か月間は母に泊まり込みで来てもらったりしてました」
助産師学校では初めてお産にも立ち会った。その感慨はというと─。
「もう必死だったことしか覚えてないですね。教科書上の知識はあったけど、実際のお産となると何をどうしていいかわからない状態で。だけどお母さんに不安な気持ちが伝わってはいけないし、身動きが取れないままでした」
計5年の学生生活を経て、国家試験に無事合格。助産師学校卒業後、昨年春から病院に助産師として勤務している。
出産時の立ち会いのほか、入院中の母親や新生児のケア、子どもの沐浴や入浴の指導、妊婦健診、産後健診と、助産師の仕事は幅広く多岐にわたる。
「先輩に教わりながら、一つひとつできることを増やしていきました。助産師の仕事って自分で判断しなければいけないことが多いので、経験値が大切になる。2年目になって少し周りが見えてきたけど、まだまだですね。自宅出産の立ち会いなんて、ずっと先の話になりそうです」
敦子自身、第5子の出産時、今の日本では珍しいケースだが自宅出産を経験している。
「もともとすごくお産が早いほうだったので、いざ陣痛がきたとき私が病院に移動するより助産師さんに来てもらったほうが安全かもしれないと考えました」
陣痛がきたのは深夜で、子どもたちが寝静まった後だった。
「出産が近いので、子どもたちを起こして立ち会ってもらいますか、と助産師さんに聞かれたけれど自分の集中力を切らしたくなかったので断りました。初めて自宅で出産してみて、“やり遂げた”という感じは病院での出産よりも強い感じがしました。
ただ医療というバックアップがない場所での出産は助産師としてはおすすめはできません。お産は2つの命が関わるもの。日本にいると安全な印象があるけれど、発展途上国では亡くなる方もたくさんいるし、それだけ命がけのことなので」
離婚を公表したのは看護学校在籍中のことだった。助産師への道はまだ遠く、この先5人の子どもを一人で育てていくことになる。そこに不安はなかったのだろうか。
「不安だらけでした。金銭的な面や子どもの精神的な面もそうだし、親としてのあり方をどう伝えたらいいか、思うことはいろいろありました」