結婚・出産、そして―
'87年、清水は、ラジオ番組で台本・構成を共に手がけていたディレクターと結婚。翌年には長女を出産する。
ライブを収録した初アルバム『幸せの骨頂』も発表し、公私共に順風満帆に見えたのだが……。
「テレビに出て、知らない人からもチヤホヤされたらどんなにいいかなと思っていたのに、いざテレビに出始めると、注目される状況が自分は苦手だったんだってわかった。街に出るのが気が重い。視線が強いし、じろじろ見られるのが苦しい。それに期待値がどんどん高まっていくのもしんどかったですね」
そして新しく始まるバラエティー番組『夢で逢えたら』(フジテレビ系)のレギュラー出演が決まる。共演は、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢直子だった。当時は全員20代、お笑い界の次世代のホープが集められ、深夜枠で新しい笑いを作り出していく試みの番組だった。
「ダウンタウン、ウッチャンナンチャンは“笑いで天下を取ってやろう!”という意気込みで臨んでたんだと思うんだけど、私にはそんな覚悟はない。彼らは収録中だけでなく、カメラが回っていないところでも、ずっと面白いことをやっている。ある意味、笑いの化け物ですね。でも、私だけは、面白さに参加できてない。
特にコントでは、どんどんアドリブで仕掛けられても、私は対応できない。前もって考えて出したネタはウケるけど、アドリブがまったくできない。やっぱり、自分は素人芸だったんだってわかったんです。ずっと1人でやってきて、人と絡むということがなかったですから、本当の鏡を見せられたような気がしましたね」
しかし、そんな清水を救ったのが「伊集院みどり」というコントのキャラクターだった。
「後ろから見ると美人なのに、振り返ったら不細工、というキャラクター設定なので、自分の欠点を誇張したメイクをして、自信過剰で性格の悪い女を思いっきり演じてみたんです。それが大ウケとなった。人気投票で1位を獲得したんですよ。みんなに恩返しができたような。まるで借金を返せたような気持ちになれましたね」