極貧、差別を乗り越えて
在日韓国人二世として島根県で生まれ、子ども時代は豚用の残飯や腐ったおにぎりも食べなければならないほどの極貧生活を送ったという信子さん。国籍でいじめを受けたこともあった。
父親の一存により18歳で結婚させられるも、耐えられず婚家を飛び出して離婚。その後死にものぐるいでさまざまな職業にチャレンジし、今も「日々チャレンジやねん」と笑う。
「神様は見てはるんですよ。上から私らのことを見て、“チャンスを与える人”を選んでんの。でも神様は意地悪で、すぐにくれたりせえへんから。私はそのチャンスをつかもうと、ボッコボッコいろんなところにぶつかってんねん。せやけど、人生一度きりやから、その過程も楽しまなあかんね。チャンスをつかもうと。もがくことこそが生きてるってことなんやないかと、私は思いますよ。死んだらなんもできへんしね」
今回のライフスタイルブックの出版も「チャンスやね」と振り返る。
「客商売が長いから、みんなを喜ばせることが大好きなんですね。私の家の中や、アニマル柄のコレクションをもっと見たいと言ってくれはる人が多いんですよ。実際、なんか色が少ないなんにもないところより、ど派手なほうが元気が出るやろ? 最近元気ない人多いやん。そんなら皆さんにお見せしましょう、見ていただきましょうと(笑)」
とはいえ、こんな心情も。
「頑張った証しを残したかったのもあります。思い出の写真もたくさん載せてもらったから、見ると苦しかったこと、悲しかったことも思い出すんですよ。みっともないこともあった。でも、それも私の歴史やからね。反省して、次に生かす。何言われてもええやん。今つらい人がこれを見て“こんな人もいる。これでもええんや”って思ってくれたら」
もうひとつ、信子さんにとって、まさしく神からもらったチャンスといえるのが、ビジネスパートナーであり、20歳年下の夫、川村幸治さん(カウカウフードシステム副会長)だろう。
信子さんが銀座でオーナーママをしているとき、従業員募集の知らせを見てやってきたのが、当時24歳でモデルをしていた幸治さんだった。信子さんの清々しさ、人間らしさに「一途に惹かれていった」という幸治さんから告白し、交際がスタート。その後入籍。2人の“婦唱夫随”はもうすぐ30年になる。
「いえいえ、“元銀座のママが考えたおしゃれな洋菓子”という、“マダムシンコ”のブランドイメージを考えてくれたのは幸治くんなんですよ。私は幸治くんあっての“マダム信子”なんやから。
でも幸治くんには、狂牛病や放火で借金背負ったりとか、若くて一番いいときにいらん苦労させたしね。幸治くんにね、いつも言うてるの。私が死んだらもっと若いお嫁さんもらうんやで、って。
でも幸治くんたら『何言うてんの。ママのほうが長生きするに決まってるやん』って」
2023年3月に、信子さんの甥である松本保純さんが社長に就任し、それまで社長だった幸治さんは副会長となった。経営にも関わりつつ、今後は夫婦で会社の広告塔となり、社会貢献に本腰を入れていきたいという。
「お客さん、家族、従業員たち……。感謝する人もたくさんいるしね。私みたいに貧乏や差別でつらい思いをした人を助けてあげたいし、世の中をもっと元気にしていきたいです。自分が世の中に何ができるかを考えるだけでワクワクします。これからもみんなをびっくりさせたいわー」
そう語る信子さんの瞳の輝きは、まさに獲物を狙う“女豹”のよう。これからも彼女から目が離せない!