マダム信子の華麗なる歴史

1951年(0-1歳) 在日二世として島根県に生まれる。5人きょうだいの長女。貧しいながらも厳しさと優しさに満ちた家庭に育つ。このころ、お祝い事の際に母が作ってくれたホットケーキの味が、のちのマダムブリュレの原点となる

1962年(10-11歳) 一家で大阪に移り住む。当初住んだアパートは、家族9人で6畳と2畳の2間のどん底状態。持ち前の負けん気の強さで、差別にも真正面から立ち向かった

1970年(18-19歳) 父親の指示で見合い結婚をするも離婚。家を飛び出し、職業を転々とする。9月、のちに夫となる幸治さん誕生

1972年(20-21歳) 喫茶店兼スナックを経営しつつ、北新地の高級クラブホステスに。不動産事業、高級クラブ経営、貴金属販売などを次々に手がけ、実業家としての頭角を現す

1990年(38-39歳) 東京・銀座にクラブ『銀座シンコ』をオープン

1996年(44-45歳) このころ、幸治さん(当時24歳)が面接に訪れる

1999年(47-48歳) 大阪府高槻市に『焼肉かうかう倶楽部』をオープン

2002年(50-51歳) 幸治さんと入籍。会社設立

2005年(53-54歳) 狂牛病騒動に見舞われ、売り上げが激減

2006年(54-55歳) 2月、『焼肉かうかう倶楽部』が放火による火災に見舞われる。そんな苦難を乗り越え、11月に洋菓子店『マダムシンコ』をオープン。“マダム信子”として多方面で文化活動を開始する

2007年(55-56歳) 『マダムブリュレ』がメディアなどで取り上げられ、大ブレイク。現在も『楽天ランキング』で常に上位をキープしている

2009年(57-58歳) 専務でもあった兄が若いころのアスベスト吸入が原因の肺がんで急逝

2010年(58-59歳) 当時住んでいたマンションで空き巣被害に遭う。被害総額3億円

2012年(60-61歳) 念願だったゴルフ番組をスタート。現在も『マダムシンコのゴル友!』(サンテレビなど)として放映中

2018年(66-67歳) 自伝をもとにした映画『やまない雨はない』(主演・川上麻衣子)が公開

2022年(70-71歳) 本社機能を豊中クーヘン工場へ移転

2023年(71-72歳) 3月、甥の松本保純さんが代表取締役社長に就任。幸治さんは代表取締役副会長に

2024年(72-73歳) 3月、大阪・北新地に大人の社交場『クラブマダムシンコ』をオープン予定

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【写真】20歳年下の夫・幸治さんとハグするマダム信子さん

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かなつ久美さんが書籍内の『漫画 マダムシンコ物語』で描いたマダム信子
かなつ久美さんが書籍内の『漫画 マダムシンコ物語』で描いたマダム信子

かなつ久美●1990年漫画家デビュー。1999年に週刊女性で連載スタートした『OLヴィジュアル系』が大ヒット。テレビ朝日系で2回ドラマ化もされた。その後を描いた『アラフィフヴィジュアル系』も電子書籍で発売中。マダム信子さんとは10年以上の交流があり、今回の書籍内では『漫画 マダムシンコ物語』を担当

(取材・文/木原みぎわ)