言葉が金属音に聞こえる
麻生さんの場合は、言葉が金属音に聞こえ、
「グロッケンという鉄琴がしゃべっているような感じ」
だそうだ。それでも相手の声が聞こえ、言葉のキャッチボールができるようになったのは、うれしいこと。夫は、
「やっとひとり暮らしが終わった」
とつぶやいたそう。黙って食べ、黙って過ごすのは、ひとり暮らし同然。会話のない生活は、聴力を失った麻生さんだけでなく、夫も耐え難かったのだ。
「中途失聴の患者さんは、音や声の記憶が残っているため、人工内耳で特徴をとらえると、脳から記憶が引き出されて、昔聞いた音らしく聞こえる現象が起こります」(山崎先生)
秋、虫の音が聞こえた。子どものころ聞いた記憶があったのだ。
「これなのか、かつてテレビ番組で聞こえなくて困ったのは」
と思い出した。一方、失聴してから流行った曲は、曲として聞こえない。
「音楽は記憶で聴くけれど、人工内耳には音程がないので、聞いたことのない曲は聞き取れないんです」
やっぱり音楽が楽しめないのは、寂しいこと。
「でもね、猫の声が聞こえるようになったんですよ。車の中で会話もできるようになったから、ドライブも楽しめるようになりました」
聞こえた猫の声は、黒猫の“りん”。ロンドンまで一緒に行った2匹の猫を2020年に相次いで失い、身代わりのようにりんが来た。子猫のときに近所で震えていて連れ帰ったりんの声をようやく聞いたのだ。
そしてこの秋、ビーグル犬の“ジンジャー”が家族に加わった。まだ子犬のジンジャーの無駄吠えがうるさい。りんの鳴き声もうるさい。
「うるさいのがうれしい!」
と笑う。
今も定期的に病院に通いながら、人工内耳の調節をし、人工音を受け入れるための心療内科にもかかっている。脳が記憶の音を取り戻し、人工音に慣れるためにはもうしばらく時間がかかりそうだ。
琵琶湖にカヤックを漕ぎ出し、沖に出ていく。水鳥が飛び交い、魚が近くを泳いでいく。明け方の湖、青空の下の青い湖、夕焼けの空と湖……、美しい自然に見とれながら、360度水のパノラマに、心を開放する。
「耳が不自由なのも、時々うつになるのも、私の個性。これでいいんだって思えるんです」
琵琶湖のことを、マザー・レイク、母なる湖というそうだ。
毎朝、琵琶湖畔をジンジャーと散歩するのだが、途中までりんがお供をすることもある。時には、ジンジャーを連れて山歩きにも出かける。
トレッキングシューズを履いて、リュックを背負って。ジンジャーの息遣いが聞こえる。鳥の声も、枯れ葉を踏む足音も、聞こえる。すっかりたくましく、アウトドアが似合うようになった麻生さん。
TODAY IS A GOOD DAY。
新たな聞こえとともに、人生のリノベーションは、今を大切に続いていく。
<取材・文/藤栩典子>