末期がんの父をひとりで自宅介護
ショックを受け、放心状態の母親を支えるべく、実家に戻ったびょうさん。頑固で強かった父親も打ちひしがれていたが、抗がん剤が効き仕事復帰を果たす。
しかし余命宣告から約5年後、再びがん細胞が大きくなり入院。その後病院への不信感から、在宅医療へ切り替えたという。
「父が亡くなったのはそれから約1か月後です。姉は家を出ており、母はモラハラだけでなく“乱暴されるんじゃないか”という恐怖から父と距離を置いていたので私ひとりで介護や看取りをしました」
訪問看護の看護師に介護のイロハを教わり、父親の食事から下の世話までサポート。
末期には、尿道から便が出るなど壮絶な症状もあったが、痛みを緩和する麻酔でせん妄状態になりながらも、穏やかな最期だったと振り返る。
「享年84歳でした。人はこうやって終わっていくんだと、父が身をもって死の在り方を見せてくれました。また、このときの介護経験がのちに介護の仕事につながったことにも感謝しています」
母の介護のために夜勤の仕事を選ぶ
父親の死後、実家で母親と暮らす日々を送る。だが平穏な毎日は続かなかった。今度は母親が認知症になったのである。今から6年前だ。
「ひとりで病院にも通えるし、買い物もできたので安心していたのですが……。認知症とわかった後、引き出しから大量の薬や買いだめした鰹節が出てきたりもしました。薬を飲まずにため込んだり、同じ食品を買い続けるのは、認知症の傾向のひとつです」
びょうさんは母親の介護や先行きの生活、自身の老後などを見据え、個人事業をやめて就職することを決断する。
「自営業だと収入は安定しないですし、新しい住まいを借りるのも難しい。母の年金も国民年金のみで生活はカツカツ。就職し厚生年金をもらえる仕事がベストと考えて、介護職に注目したんです」
こうして50歳のとき、介護職に飛び込んだのだ。