次々クビになる仕事、そして独立へ
引っ越し後、さまざまな仕事に挑戦するが、順調にはいかない日々が続いた。中華レストラン、かまぼこ店、深夜の牛丼店、百科事典の訪問販売……まだ10代で世間知らず、さらに自己流の型破りな発想を持ち込んでしまい、どの仕事も数日でクビになる。
「本当にどの職場も僕をクビにするから、自分で何かを始めることを決心しました」
空き瓶回収から始まった“起業”は、何も知識のないところから地図制作請負業者として町内会の地図や看板を請け負うまでに至る。時には常識外れで周囲の人に怒られながらも信頼を勝ち取り、その仕事をきっかけに中国に縁を持つこととなる。
「お世話になった町内会の人が日中友好協会の副会長で、『これからは中国の時代だ』と紹介してもらって、中国の天津市に行ったことがありました。そのとき、中国には日本にはない面白いものがいっぱいあるんだということに気づいたんです。直接輸入はできないといわれましたが、郵便で送ることはできました。僕はおそらく日本で一番最初に個人輸入を行った人間だと思っています」
化粧品や健康食品を中心に、中国で仕入れたものを日本で売るビジネスが本格始動した。
一世を風靡した「痩せる海藻石鹸」や、「痩身クリーム」も取り扱っていたという。現地人に依頼をしてもなかなか思うように動いてくれないことから、自らが街を回り、雇っていたメイドさえも動員して限定の化粧品を仕入れるなど、自分でやれることはなんでもやった。
「毎日毎日リヤカーで街を駆けずり回って、商品を仕入れては日本に送るということを繰り返していました。そのときの会社は今自分がやっているもうひとつの通販会社『ユーコー』の前身です」
化粧品から仏像に至るまで、なんでも安く仕入れて喜ばれる値段で売った。現在の夢グループの「あったらいいな」という商品をどこよりもコストを抑えて製造し、お客様に喜ばれる値段で販売するというスタイルは、このころから変わっていない。
反面教師・松方弘樹さんとの出会い
石田社長のビジネスは個人輸入だけにはとどまらず、伝手ができたためシルク製品を取り扱うことになる。そのときのモデルとして出会ったのが、俳優の故・松方弘樹さんである。
「最初シルク製品は僕がチラシのモデルをしていたんですが、お客様からモデルについてクレームがありまして……。周りからも『芸能人を使ったらどうか』と言われて、最初は錦野旦さんに頼んで商品が売れたのですが、所属事務所とのトラブルでその後の話がなくなってしまいました。その事務所社長が代わりに紹介してくれたのが松方弘樹さんです」
大物俳優とはいえ、当時はスキャンダルなどの影響もあり契約金は安く済んだ。しかし昭和のスターはとかく贅沢や「粋」であることを好むものである。それは結果として、石田社長にとっての反面教師となっていく。
「最初の撮影は大型クルーザーを借りて、シルクシャツを着た松方さんが釣りをするというものでした。しかしこれがシャツではなく『松方弘樹』の広告にしか見えず、お金をかけたのに商品はまったく売れません。だから次はグリーンバックでシャツを着ている松方さんを撮影して、合成でシャツがよく見えるような広告を作ったら、これはとっても売れました。お互いの信頼関係もできまして、気をよくした松方さんは『大きな犬を用意してくれ』とか『合成ではなくロンドンやニューヨークで撮影をしよう』など乗り気に……。なんとか諦めてもらいましたが、よくもまあ次々にこんな無駄なことを考えつくなとも思ったものです」
現在の夢グループのCMはグリーンバックでの撮影、スターは使わず社長自らが出演し、犬はぬいぐるみを使用。そして何よりも商品のことを最優先に伝えることをポリシーとしている。そのスタイルはこの経験を経て生まれたものだといっていいだろう。
ちなみにテレビCMの制作費は1本約2万円、台本は毎回社長が移動中にノートに書いた手書きのもので撮影が行われている。早ければ10分程度で1本の撮影が完了し、1日で3〜4本を撮るという。もちろん、編集も社内スタッフが行っている。