夕焼けが見えない都会生活への戸惑い
タカさんは英語とポルトガル語に加え、スペイン語も堪能だ。外国語の習得は、勉強次第である程度のレベルには到達できるが、そこから先は母語の能力、つまり日本人であれば日本語の語彙や表現力が関係してくる。
「外国語が母語のレベルを超えるとは考えられません。僕の語学習得が比較的スムーズだったのも、日本語のベースが背景にあったからだと思います」
そう語るタカさんの日本語力は、どこで身についたのか。鳥取県出身の彼は、地元テレビ局に務める父、そして絵描きの母というクリエイティブな家庭で長男として育った。
「母からは小さいころ、絵本の読み聞かせをよくしてもらいました。父はディレクターをしていた関係で、たまに知らない言葉が出てくると、すぐに広辞苑を引いていましたね。そんな環境が影響したのか、小学校でも中学校でも自然とたくさん日記を書いていました。本もそれなりには読んでいたと思います」
初めて海外を意識したのは小学校6年生だ。学校行事の一環で韓国の春川市を訪れ、韓国の小学生と交流を深めた体験が、世界の広さを知る出発点になった。
「バスに乗った時に韓国の子から『ベースボール、ライク?』と聞かれて、『ライク』の意味がわからなかったんです。それぐらい英語はできなかったのですが、いわゆる国際交流の魅力に目覚めた数日間になりました」
塾通いはしていなかったが成績は優秀で、高校は県内の進学校へ入学した。3年後、東京大学文科三類に一発合格。鳥取出身の学生が下宿する寮「明倫館」に住み、晴れてキャンパスライフがスタートした。しかし、長年住み慣れた地方都市と大都会に漂う空気感のギャップに、戸惑った。
「特に感じたのは時間の流れ方の違いでした。建物が多くて夕焼けが見えなかったこともつらかったですね。僕は鳥取にいたころ、可能な限り毎日、沈む夕日を見ながらその日お世話になった人を思い浮かべるような変な習慣があったのですが、それが東京に来た途端にできなくなったので、自分のペースが崩れていく感覚がありました。人が歩くスピードも速いし、駆け込み乗車にも違和感を覚えました。あまりうまく適応できませんでした」
そんな悩みを、履修していた授業を担当する生命倫理学者の小松美彦教官に、思い切って相談してみた。すると思いがけない回答が返ってきた。
「苦しめばいいんじゃないかな。東京の時間に無理して合わせるのはやめて、自分の内側に流れている時間を生きればいい。好きな時に好きな本を読み、好きな場所で好きな人と会う。そうすれば外側を流れる時間とはズレていくから、その狭間で苦しむことになるけど、そういう苦しみなら、むしろ徹底して苦しみ抜いたほうがいいと思う」
自分の時間を生きる─。そうアドバイスしてくれた小松先生の授業は最後の回まで満員で、名言がちりばめられていた。
「自分の目で見て、自分の心で感じて、自分の頭で考える」
「何かが語られている時に何が語られていないか、何かを見せられている時に何が見せられていないか。常にもう一方の現実に目を向ける批判的な姿勢を持ってください」
小松先生の教えが、タカさんの人生を揺さぶった。