単身で会場へ行きFIFAと直談判

「29歳のとき、リーマン・ショックのあおりによってリストラに(苦笑)。自分は飽き性なところがあるので、さほどショックではなかったんです。ただ、ずっと続けられるものを探さないといけないと思いました。それがカメラの世界だった。20年以上カメラを持ち続けている自分に気づき、この仕事なら続けられるのではないかと」

 とはいえ、プロとしてのキャリアはゼロだ。つてもない。だが、小中村さんは持ち前の行動力で、状況を打破していく。

「私は今も拠点を兵庫県に置いているのですが、こちらにはデウソン神戸というプロのフットサルクラブがあります。『謝礼はいらないから撮らせてほしい』と直談判し、オフィシャルカメラマンにステップアップすることができた」

 神戸周辺には、プロ野球の「阪神タイガース」「オリックス・バファローズ」、プロサッカーの「ヴィッセル神戸」「INAC神戸レオネッサ」、プロラグビーの「コベルコ神戸スティーラーズ」といった名だたるチームが多いことも追い風となった。評判となり、「うちでも撮ってくれないか」と声をかけられることが増えていったという。

 一方で、所属先のないフリーのカメラマンが、同業者に先んじて撮影していることを「嫌う人々もいた」と吐露する。「負けるか!という気持ちだけですよね」と笑い飛ばすが、その負けん気は本物だ。

「『サッカー日本代表の試合を撮影したいのですが、どうすればいいでしょう?』と日本サッカー協会に問い合わせると、フリーは無理だと一蹴されました。だったら、私はFIFAに認められればいいと思った(笑)」

 '18年、ロシアW杯の試合会場へ行き、2000人以上に「FIFAの人を知りませんか?」と声をかけて回ると、たった1人だけいた。ほんのわずかな光でも差し込むなら、どんなに小さな糸口でもあきらめない。その出会いを機に、小中村さんはFIFAからの信頼を勝ち取った。MLBのオフィシャルカメラマンも、直談判から始まったことだった。

 しかし、「ただ撮るだけでは意味がない」と小中村さんは話す。

「私はフリーですから、自分が撮影した写真を買ってもらうことで生計を立てている。わかりやすい例で言えば、'22年のカタールW杯の“三笘の1ミリ”のような写真。そうした瞬間を狙えるように、自分が撮影するスポーツや選手のことを理解し、その瞬間に備えなければいけません」

 思うような写真が撮れなければ、自費で捻出した渡航費や宿泊費は赤字となる。費用がかさむため応援してくれるスポンサーは必要不可欠となるが、現在、20社ほど契約するスポンサーは、自らプレゼンし成約させた。各社のロゴが刺繍された仕事着をまとい、小中村さんは現場へ向かう。その姿は、選手と変わらない。