このままベッドの上で朽ち果てるのでは?と死を覚悟。回復した自分がイメージできない、このままどうなるのだろう、と不安の渦に巻き込まれていった。
担当医は“本当にいいんですか?”と驚く
2か月の入院生活を経て、退院したもののなかなか回復に向かわなかった。
「退院後、すぐに仕事に復帰できるかと思っていましたが、現実は甘くありませんでした。歩けない、とにかく少し歩くと座り込んでいました。外出するときは、休憩場所をチェックしてから家を出るようになりました」
筋力が衰えると人間こうなるのだ、と改めて筋肉の大切さを知ったという。元の生活に戻ったと実感できたのは、退院してから1年半後。
実は、元の生活に戻れたのは奇跡に近かった。治療の選択を誤っていたら今の生活はないとソネさんは強く語る。
「告知を受けたとき、担当医からは手術と放射線治療の2つの選択肢を提案されたんです。手術は子宮だけでなく膀胱など周囲の臓器を取り去り、人工導尿をつける生活になるといわれ、仕事上の問題もあり、悩みました」
ソネさんの持ち前の探究心が湧き出て、医療関係の友人に相談し、治療について深く調べた。
「米国で医師をしている友人に相談したら、そのころから欧米では放射線治療がメインで外科治療はほとんど行わないと聞いたので、放射線治療に決めたんです。当時、日本では手術が主流だったので、担当医は“本当にいいんですか?”と驚いていました」
しかし、この選択が現在の生活を支えている。
「放射線治療と抗がん剤治療で寛解の状態(症状が軽くなる、消える状態)になりました。10年たちますが、再発はなく元気に過ごしています」
元気に活躍できるのは、外科手術を選択しなかったからだという。
「今は72歳なので、もしまたがんになったとしても進行は遅いはずですし、がんが大きくなるころには、私の寿命が尽きているかも(笑)。病に対する不安はありません」
仕事に復帰したあとは、拡大した事業を縮小し、YouTube配信など自分ひとりでできることを始めた。
「私はもともとマイペース。大病を経験したことで、自分のやりたいことをやって楽しむと決めたんですよ」
今は娘がインストラクターとしてスタジオに勤務し、ソネさんをサポートしている。
「私の意思を尊重し、支えてくれる子どもたちにはいつも感謝しています」
「元気が取りえだった私にとって、病気は神様が与えた試練なのだと思います。冷え性のクライアントさんがいても、自分は冷えを感じたことがないので実感が湧きませんでした。でも、闘病中は足先の冷えに悩み、夏でもカイロを使ったり、何度もお風呂に入ったの。『こんなに大変なんだ!』とわかったし、いい勉強をさせてもらいました」
子どもたちが独立していたこともあり、広いマンションから二間の団地に引っ越したソネさん。ひとり暮らしで日々の食事管理を徹底している。
「食事は手作りがメイン。旬の野菜を中心に魚、鶏肉、豚肉でタンパク質をとっています。添加物をとりたくないから外食や中食は控えるように。調理には時間をかけずパッパと作るようにしています。例えば、お湯を入れるだけでみそ汁ができるみそ玉を作ったり、野菜の重ね煮を作り置きして味変で楽しむなど工夫をしています」
生活面では睡眠時間に重点を置いている。
「病気になるまで、自分はショートスリーパーだと思い込んでいたのですが、いろいろ試してみて8時間寝るのがベストだとわかりました。夜10時にはベッドに入り、朝6時に起きます。この生活を続けていると日中の眠気がなくなり、驚くほど元気に動けるようになりました」