『スタ誕』出演で弟子入り志願者が
テレビ出演の話が舞い込んだ。1980年、34歳のときに出演したオーディション番組『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)。漫才師のB&B、おぼん・こぼん、お笑いコンビのとんねるずなどがグランプリに輝いた同番組で、マギー司郎は7週を勝ち抜いた。8週目に落ちたが、風変わりな芸は視聴者に強烈な印象を残した。
テレビ番組出演をジミー司にすすめたり、かつてカバン持ちをしたことがあるマギー信沢に弟子入りし、新たな名前をもらうことを進言したのは、アンジャッシュやおぎやはぎらが所属するプロダクション人力舎の創設者、玉川善治さん(2010年6月死去)だった。
「玉川さんが、手品師の伊藤一葉さんのマネージャーをやっていた方を僕につけてくれて、『スタ誕』に出るように段取りしてくれた。最初からウケましたね。今思えば、謝りながら出るでしょう、それが逆に新鮮だったかもしれない。元気よく出る芸人がほとんどですからね。無防備な芸だったのがたまたまよかった」
と、マギー司郎は振り返り、分析する。以来44年、大ブレイクはしないが、ずっと売れ続けて、老いも若きもその芸を知っている稀有な芸人というポジションをキープしている。
テレビ出演の影響は大きかった。一番弟子のマギー隆司(71)が弟子入りしたのも、まさに勝ち抜いている最中。当時、東京・麹町にあった日本テレビの社員食堂で弟子入りを志願した。
「師匠がカバン持ちというか弟子を探していると聞いて会いに行きました。師匠は37で、私は29でしたね」
マギー司郎は弟子を、“くん”づけで呼ぶ。
「隆司くん、僕くらいになれば何とかなるよ。僕が言っていることをまじめにやればやっていけるから、と言われてうれしかったけど、これが難しい」と、当時から師匠の芸はマネのできない領域にあったとマギー隆司は証言する。生活の面倒も事細かに見てくれたという。
「29歳で入りましたけど、アルバイトは一切したことがないです。3年半くらい毎日一緒にいて、ご飯は全部食べさせてくれました。師匠から月に3万円、師匠の事務所からも月に2万円くらいもらっていたので、アパート代2万円は余裕で払えましたね」
と感謝は尽きない。
師匠の人間性と芸風については「基本的にはまじめです。謙虚です。世間から見たらボケがかわいく映ると思いますが、本人は一生懸命。それを許してもらっていると認識している。手品の種は、聞けば教えてくれます。
コカ・コーラをペプシコーラに変えるネタを見たとき、これでいいのかな?と思いつつも、弟子としていつかできるようになるんじゃないかとちょっと勇気づけられましたが、まあ無理。誰でもできるけどウケない」
と明かす。