テクニックで食えたら誰でも食える

マギー審司主催のチャリティーボウリング大会で。愛弟子の入門30周年を祝うプレゼントを手にしたマギー司郎
マギー審司主催のチャリティーボウリング大会で。愛弟子の入門30周年を祝うプレゼントを手にしたマギー司郎
【写真】『お笑いスタ誕』で人気者となり、テレビに出始めたころのマギー司郎

 マギー司郎も「テクニックで食えたら誰でも食えるもんね」と口癖のように漏らす。それはテクニックと道具によって成立するマジックの真意そのものだが、そうは問屋が卸さないのが芸の世界。

「昔お世話になった人に、テクニックは追い抜かれるけど、キャラクターや人柄は追い抜かれない。そこを大事にしたほうがいいね、と言われました。あと芸人は、いくつになってもかわいくないとダメ。嫌われたらダメ。それから時間を守ることも大事」

 と、芸人のあり方を教示されたという。

 特に時間に関してはきっちりしていて、マギー隆司は、「あれは怖かった」と思い出すことがあるという。

「あの調子で静かに話すので怒られている感じはしないんですが、理詰めでくるんです。寝坊したときに、『隆司くん、寝坊はお弟子がしなくてもいいのよ』って優しく言うんです。背筋がヒリリと伸びましたね」

 芸風に関しては、明石家さんまの名前を比較として持ち出し、「さんまさんは自分で考えている天才。うちの師匠は、何もしないけど出たとこ勝負の天才」と絶賛する。「芸人が欲しくても手に入れられない“ふら”(どことなくおかしい様子)。あの“ふら”にかなう人はなかなかいないでしょう」

 三番弟子のマギー審司(50)も、師匠の話し方に言及し「うちの師匠の言葉を、僕らが変換しなきゃいけない。『遅刻しないほうがいいんじゃないの』と言われた弟子の中には『たまには遅刻しても大丈夫かな』と思っちゃう人もいる。僕は変換しながらやってきたと思う」と、正しい受け止め方が弟子として必須科目であることを伝える。

 マギー審司も、小学校高学年のときに見ていた『お笑いスター誕生!!』でマギー司郎という存在を知り、憧れた。

「田舎訛りも温かい感じがして、どんどん引き込まれました。芸というより人柄なんでしょうね。今も、ときどき師匠が、自分のラジオ体操や散歩の動画を送ってきてくれるんですけど、そのたびに、僕は師匠が好きなんだな、マギー司郎のファンなんだなって思いますね。子どものころに見ていたときと同じで、師匠はずっと面白い。『弟子に入ったんだから悪口言わないでよね。僕嫌われたくないんだよね』という口癖も好きだし、否定する部分がまったくない」と、弟子入りして30年たった今も、当初の思いが続く。「両親は亡くなりましたが、師匠は親でもありますしね」としんみり付け加える。

 一度、師匠に愚痴を漏らしたことがあった。

「アルバイトばかりやっていて、これじゃ何で東京に出てきたかわからないって言ったことがあるんです。おそらく、もがいていたというか、焦っていたんでしょうね。そうしたら、いつものトーンで『田舎帰ってもいいんだよ』って言われました。あれは怖かったですね」

 一方で、師匠のちょっとズレたエピソードを次のように伝える。

「昔、2人の女性を同時に好きになったことがあったそうなんです。喫茶店に2人を呼び出して、『両方とも好きだから3人で住みたいんだけど』とあの柔らかいトーンで言ったんですが、もちろん撃沈。2人に断られたそうです。普通ならなかなか言えないですよね。それを言ってしまう師匠のズレた感じというか、それが芸人っぽくて笑ってしまいましたね」

 マギー隆司とマギー審司が口をそろえる驚ろくべきことがある。それは「師匠の家を知らない」「師匠の家に行ったことがない」、師弟関係でそんなことがあるのか!という現実だ。2人とも「だいたいあのへんに住んでいるのかなとは思いますが、行ったことはありません」。

 そのワケを、マギー司郎に尋ねた。

「ストリップ劇場の楽屋で約15年間も寝起きしていたから、僕は布団だけあればよくて、住む家には無頓着だったんです。隆司くんが弟子入りしたときも、4畳半の部屋に住んでいて、師匠と呼ばれるのに、ここに連れてくるのは恥ずかしいなと思ってね。逆に、弟子が師匠の家を知らないっていうのは面白いんじゃないかと思って、以来、誰も連れてきてないんです」

 マギー司郎の事務所オフィス樹木のホームページには、一門の弟子10人の顔写真が掲載されている。その誰もが師匠の自宅を知らないという。

「弟子入り志願を断ることもありますよ。人に対して優しくないとかね。あとは、賢くてできそうな人より、少しどこか物足りないほうがいい。成長が楽しみじゃないですか」