携帯もない時代に
“なかなか着かん”と窓の外を見つめ続けた原口さんの父が、ようやく着いた東京駅のホームで息子の姿を見つけた。そこから息子を見失わないよう急いで、まだ動く車内を走った。大荷物で右往左往する父を見つけるのはとても難儀だった、と原口さん。
「携帯もない時代だから、駅でいっぱい人が降りるともう見つけられないわけ。佐賀の感覚だと、隣の駅ってまぁ10分や20分で着くぐらいのイメージだったんだろうね。この前、京都に新幹線で行ったんだけど、帰りに名古屋から東京まで乗っててさ“ああ、この区間を親父は立っていたんだな”って思い出したんだ。そういうの、忘れられないよ。漫画みたいだけどさ」
と少しだけ目を赤くした。
喫茶アメリカンを開いてから“つらかったけど、不幸だとは思わなかった”と、原口さんは振り返る。多くのお客さんを笑顔にし、驚かせることが喜び─。そんな性格だからこそ、41年もの長い間、店を続けられたのかもしれない。最近うれしかったのは、米国テレビ局のCNNが取材にやって来たことだ。“大谷翔平も見てくれたかなぁ”と原口さんは顔を輝かせて話す。
「これで名実共にナンバーワン・エッグサンドだよな」
店内に、35周年のときに原口さん自身がしたためたポスターが張られている。《伝説の店を目指してもう少し》─。今やもう原口さんの目指した“伝説の店”になったといえるのではないだろうか。
「それはどうかなあ。でも、俺にとってキッチンはステージなんだ。だから、営業中は店のドアを開けたまま。そこから入ってくるお客さんに、俺の姿を見てもらうんだよ。入り口からまっすぐ俺がたった1人で包丁握ってるのが見えるじゃん。そうしたらもう、早くしろ、とか待たせるな、とかお客さんは言えないわけよ。おじいちゃんが1人でやってんだもん」
そこまで話して、原口さんは言葉を切った。
「俺、死ぬならキッチンだな。朝、母ちゃんが来てさ“あ、死んでるわ”って見つけるわけよ。それ最高だろ?」
今年73歳になる原口さんの言葉に、京子さんはニコリともせず“またバカなこと言って”と切り返す。
喫茶アメリカンの歴史は、佐賀の夫婦の“がばい”愛の物語でもあるのだ。
<取材・文/ガンガーラ田津美>