姉弟の“跡目争い”
『菊之助』を継ぐということは音羽屋の頭領の証しである大名跡『菊五郎』を継ぐことと同意。寺島にとって『菊之助』という名跡は、男性として生まれていれば自分が継承するはずだったために強い思い入れがある。
「眞秀くんと丑之助くんはいとこ同士ですが、眞秀くんが1つ年上。年齢のアドバンテージを生かすため、寺島さんは幼い眞秀くんに歌舞伎の稽古をさせて、彼が5歳だった'17年に初舞台を踏ませています。幼いころから舞台に立たせることで、丑之助くんよりキャリアを積ませたかったのでしょう。眞秀くんを有名私立に進学させたのも、野球チームに入れたのも“丑之助くんに先んじたい”という寺島さんの思いがあったのかもしれません」
姉の執念を知っていた五代目菊之助も、息子を引き立てるために動いていた。
「丑之助くんは5歳だった'19年、初舞台を踏むと同時に『丑之助』を襲名しました。『丑之助』という名跡は『菊之助』『菊五郎』を継ぐものが先立って襲名する幼名。この時点で丑之助くんが未来の『菊之助』を継承するのは既定路線でした」
歌舞伎の世界では、幼名を襲名する前に、本名で舞台に立たせるのも話題づくりの一環として行われている。
「松竹としても菊之助さんの子どもに継承させたいという意向がありました。眞秀くんには強い存在感があったので、早々に既成事実をつくりたかったのでしょう。この丑之助襲名は寺島さんに“眞秀くんは『菊之助』になれないのだから、早く諦めてほしい”という牽制が目的だったのでは?とも噂されています」
姉と弟の間で燻る跡目争いだが、眞秀くんと丑之助くんのいとこ同士の仲はいたって良好のようだ。
「眞秀くんは自分の立場をわかっているのか、周囲に“僕は菊之助にならなくてもいい”と漏らしていました。それを聞いた寺島さんは“そんなこと言うもんじゃありません!”と叱ったそうです」