異変の1年半後に確定した病名
介護福祉士をしていた沙代子さんは、その経験から、夫の脳の異常を疑う。脳ドックに行ってみようと促すが、
「本人にはまったく自覚はありません。行く理由がわからないうえ、職業柄病院には顔見知りも多い。そこに診察される側として行くことに抵抗があるようで、なかなか受診につながりませんでした」
また、沙代子さん自身も夫の認知症を疑いながら、「職場から何も連絡がないということは、大丈夫なのかな……」ともやもやしながら日々を過ごしていたという。そんな沙代子さんを決心させたのは、長女の麻由さんの言葉だった。
「気持ちが揺れている私を見かねて『認知症の家族の会に一緒に行かない?』と声をかけてくれたんです。私はすぐに『そうだね』と返事していました。娘からはっきり言われたことで、気持ちが固まったんだと思います」
その後、県内の病院を受診。若年性アルツハイマー型認知症の診断が下りたのは、最初の異変に気づいてから約1年半後のことだった。
病院で萎縮した脳のCT画像を目の当たりにした沙代子さんは、「やっぱりか」とショックを受ける。しかし当の彰さんに動じる様子はなかった。
「自分の身体だとは理解していませんでした。まるで他人のものを眺めているような感じでしたね」
診断をきっかけに、新規事業は人に託すことに。しかし、彰さんはこのときまだ64歳。言葉は出にくくなっても体力に衰えはなく、理学療法士としての技術も身体が覚えていた。
沙代子さんは「可能な限り今までどおりの生活を続けたい」という思いから、自らが補助につき、運動指導やマッサージを行うサービスをスタートさせる。開業と同時に、SNSで彰さんの病気を公表した。
「認知症状のある人が施術することに対し、周りからどんな反応があるか心配でしたが、ある福祉施設から『塚本さんができる範囲で一緒に仕事をしませんか?』とお声がけをいただいたんです。
現役時代も医療に尽くした人でしたから、それを認めていただき、仕事を続けられることは幸いでした。公表してよかったと思っています」
周囲のサポートを受けながら彰さんは2年近くリハビリの仕事を続ける。しかし、症状は徐々に進行していき、利用者の顔や名前、自分が行った施術の記憶も困難に。2021年12月、現場を退くことを決意する。