「孫の存在は、俺という老木に止まっているシマエナガみたいなもので、本当に愛おしいんですよね。その孫を育てているせがれ夫婦から教わることはとても多くて、自分にとって先生。父親の名前が玉袋筋太郎だよ? でもせがれはグレることもなかった。カミさんの教育がよかったんだろうし、せがれの根もよかったんだろうなぁ」
「偽らざる姿でジジイになりたい」
妻に未練があることを隠そうとしない。その姿は、背伸びをせずに身の丈で老いていく─50代を迎えた玉さんのポリシーのようでもある。
「カッコつけたってしょうがないもんね。それこそ心の底では、浅草キッドとして漫才をやりたいってずっと思っている。去年の年末に、かつて放送していた格闘技情報番組『SRS』(フジテレビ系)の同窓会みたいな集いがあって、久しぶりに博士と会った。今だったらどんな漫才をするかな、なんて話をしましたよ」
活動再開は、すぐには訪れないだろう。だが、玉さんはこう続ける。
「俺らはビートたけしの弟子だから、『絶対負けねえ』っていう気持ちでやってきたからさ。それは博士も同じ気持ちだと思う。兄弟子には順序で勝つことができないけど、漫才で評価されれば外側から見方が変わってくると思って、2人で腕を磨いてきた。そういう時代を共に過ごしているから」
生きていればいろいろなことが起こる。ひょっとすると、突然、時計の針が動き出すこともあるだろう。
「どうなるかはわからないけれど、ありのままに生きて、美しく枯れていく人生を目指していきたい。ただ酒を飲んでる時間とか、気の合う仲間と話すだけの時間とかさ、そういうことが大切だと思う。そんな些細なことが心を軽くして、過積載を防ぐから。俺がスナックを経営しているのもそう。嫌な気持ちを置いて、気持ちが軽くなれる場所って必要じゃん。いまだに俺は半人前だけど、偽らざる姿でジジイになりたい。そういう意味では、まだまだこれからなんだろうな(笑)」
取材・文/我妻弘崇