「耳鼻咽喉科と放射線科、2つの診療科にお世話になったんだけど、放射線科の先生と最初に会ったとき、『がんばりましょう、チームだから』と言ってくれて。そのひと言がすごく効きましたね。本気でやってくれるんだな、僕もがんばらないとって」

生放送で発表した理由は「中途半端にしたくないと思った」

 治療は通院と入院で、放射線35回、抗がん剤3回を7週間で行うスケジュールだった。そのためには25年間出演している競馬番組を休まないといけない。

「休んだあと戻らせてもらえるかっていう不安も、やっぱりあったし。でも、家族より付き合いの長いプロデューサーが『治して戻ってきてください』って言ってくれたから少し安心できて、その2週間後から治療を始めることに」 

 治療に入る直前には番組内で公表した。

「生放送中、自分の言葉で伝えたいと思って。もしかしたら休む期間が延びちゃうかもしれないし、中途半端にしたくないと思ったんです」

 そこで寄せられた反響も励みになったという。

「インスタに“早く治って”とか“番組に戻ってきて”といったコメントをもらって、そんなに反響があると思ってなかったからビックリで。一緒に見ていた妻が、このとき初めて『いい仕事してきたのね。こんなにたくさんの人が心配してくれてるんだから、がんばって治そうね』って。本当にそう思いました。入院前に娘からはお守りをもらって、そのときはうれしくてまた泣いちゃいましたね」

 芸能界の先輩や友人たちにも励まされた。

「欽ちゃん(萩本欽一)やヒデ(中山秀征)には公表前に伝えて。ヒデとは入院前、最後に飲みに行きましたね。ヤックン(薬丸裕英)は入院前日に家まで来てくれた。昔から可愛がってくれたのりさん(木梨憲武)は、ちょうど1月から主演のドラマで、がんで死ぬお父さん役を演じていて、俺ががんだと公表したあと、『今の医療では治るから問題なし、がんばれ』と、長文のメールをくれました」