息子は発達障害がわかり高校で不登校に

 こうして35歳のときに養子を迎え、親子3人の生活が始まった。「ようやくスタート地点に立てた気がして、生きていく力が湧いてきた」と当時は思ったというが、子育ては想像していたよりも過酷だった。

「息子は明らかに周りの子と違うことが多くて戸惑いました。同じことを何度言っても理解できず、同年代の友達が普通にできることが息子にはできません。小学校に入ると、授業中に教室の外に出ていったり、落ち着かない行動が目立つようになりました。引き算ができなかったり、咳払いが多いことも気になっていました」

 心配になった南谷さんは息子さんの症状を小児科で相談した。

「咳払いはチックといわれる症状で、トゥレット症候群と診断されました。当時の医師からは、原因はお母さんが勉強を無理強いするからだとか、きちんと食事をしていますか?と言われたり。そのため脳の発達にいい食材にこだわって料理をするようになったのです。まだ、今のように発達障害という病気が認識されていなかった時代です。その後、ADHD(注意欠陥)、IQは83(境界知能IQ71~84)と診断され、症状を落ち着かせるために中学2年生のときに投薬治療を開始しました」

 それでも野球が得意だった息子さんは、スポーツ推薦で強豪の高校に入学することができた。しかし、入学後、不登校になってしまう。

「勉強をおろそかにして部活に出るのはダメという学校で、勉強ができなかった息子は部活にも参加できなくなり、そのうち朝も起きなくなり学校に行かなくなったのです。うつの症状も出て、どうしたらいいのかわからなくなりました。高校のママ友にも相談できず、ましてや母に相談すれば心配をかけてしまう。私の相談相手は占い師だけでした」

 当たると評判の横浜・中華街の占い師のもとに通い詰めるようになったという。

「『息子さんは自分の生き方を許してもらいたくて、あなたのところに来たんですよ』と言われて号泣しました。以前、NPOの代表に言われた『あなたみたいな自信家で、気が強い人には子どもは育てられません』という言葉を思い出したのです。

 占いをきっかけに、息子の気持ちや行動を認めることが大事だと気づき、私の息子への接し方も少しずつ変わっていきました」

 それから1年間の不登校を経て、息子さんは学校に行くようになり、「テーマパークのホテルで働きたい」という夢を持つようになった。

「夢を持って目標に向かっていく友人がそばにいたことが大きかったと思います。彼から刺激を受け、自分で生き方を考えるようになり、息子は成長しました。高校卒業後は専門学校に進学し、テーマパークでのアルバイトを経て、今はホテルのレストランに勤務しています」

 こうして子育てが一段落したころ、夫は勤めていた大手企業を退職し、障がい者の就労移行支援の仕事に就くことになった。

「障がいのある子たちは親が亡くなったらどうやって生きていくのか、そのことは私たち夫婦でずっと考えてきたテーマで、障がいのある当事者やその家庭の支援をしていきたいという思いがありました。夫が行動を始めて、私も何かしなくてはと思ったのです」