キラキラネームの歴史
「2023年には、漢字本来の意味から外れた名前に一定の制限を設ける戸籍法改正の方針が示されましたが、実はキラキラネームの歴史は今に始まったことではありません。
例えば織田信長は、11人の息子にそれぞれ、奇妙、茶筅、三七、次、坊、大洞、小洞、酌、人、良好、縁と名づけた。作家・森鴎外も留学先のドイツで本名“林太郎”が発音しづらいことを実感し、子どもたちに於菟(=Otto)、茉莉(=Marie)、杏奴(=Anne)、不律(=Fritz)、類(=Louis)といった西洋風の音を持つ名前をつけました。
もちろん漢学や古典の素養もあった鴎外のこと、『徒然草』の《人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ(人の名前をつけるのに、あまり見られないものにするのは、有益なことではない。何事につけても珍しいものにしようとか、変わったものにするのは、教養がない人にありがちなことである)》という吉田兼好の言葉を知らなかったわけではないでしょう」
なんと『徒然草』が書かれた鎌倉時代からキラキラネームがあったとは!
「鴎外の子どもたちは、自分の子どもにも、樊須(はんす)などといった名前をつけた。“海外に行っても困らない”ことを彼らは実感したのだと思います。そういう意味で、スケボー選手たちの親御さんも、わが子に世界で活躍してほしいという祈りを込めて名づけをしたのかもしれませんね」