譲らなかった「エースで4番」

 同じ奥州市内ではあるが、大谷が育った地域である水沢から少し離れた隣町の図書館にまで、大谷の展示は拡大している。担当者の渡辺貴子さんに展示について聞いた。

メジャーリーグに移籍した'18年から大谷翔平選手のグッズや関連の本を置くコーナーを作りました。'21年に初めてMVPを受賞したとき、大谷選手と比較されることの多かったベーブ・ルースと2人の年表を作成しました。'20年に新型コロナウイルスが流行しましたが、ベーブ・ルースの時代はスペイン風邪が流行していたなど時代背景がどことなく似ていたのです。大谷選手が次々と記録を残していくので、年表もどんどん伸びていっています。今年もMVPに輝いてもらって、さらに年表を伸ばしたいですね

 地元の誇りとなっている大谷。岩手から世界へ羽ばたいていった二刀流の成長を見てきた人たちはどう感じるのか。

「小学生のころから足が速くてこの地域では有名でした。当時から野球ばかりやっていた印象ですね。大谷くんのプレーを見てプロを目指すことを諦めた人が何人もいたとか……。プロにはなると思っていましたが、まさかメジャーリーグでこれほど成功するなんて、当時は思いませんでした」(小学校時代の知人)

母校・姉体小学校にも大谷翔平が寄贈したグローブが届いている。人気で、使うには10日待ちという
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 幼稚園のころの大谷を知る人によると、野球への思いは当時から強かったようだ。

「大谷くんとはよく野球を一緒にやりました。おとなしくて出しゃばらない、いい子でしたが、野球に関してはエースで4番を譲りませんでした。当時から野球に対するこだわりはあったのでしょうね。また、大谷くんは家から幼稚園まで歩いてくることもありました。幼稚園児だと1時間くらいかかる距離だったと思いますが」

 今やメジャーリーグで本塁打王に輝くほどのパワーの持ち主だが、かつて実家近くで目撃された姿は違っていた。

「花巻東高校時代に大谷選手が実家近くを走っているところをたまたま見かけました。そのころから身長は高かったですが、ひょろっとしていて、物干し竿みたいでしたね(笑)。日本ハムに入団してからも実家に帰省していましたが、当時もまだ線が細かった印象です。

 メジャーリーグに行ってからは直接見たことはないですが、格段に身体が大きくなった印象です。活躍してMVPを取ったときには、町内会で花火を打ち上げました」(大谷の実家の近隣住民)