'92年から'03年まで放送された『電波少年』シリーズ。アポなし突撃、ヒッチハイク、無人島脱出、東大受験など今では考えられない無謀な企画のオンパレードだった。当時は出川哲朗や有吉弘行らも番組に出ていたが、思いもよらない転身を遂げた人もいて……。
'92年から『進め!電波少年』(日本テレビ系)のマスコットガールとしておよそ1年半、番組に出演していた『初代・電波子』こと滝島梓。
「応募段階で決まっていたのは、デビュー曲を後藤次利さんが作曲してくださることだけ。オーディションと同時進行で“デビュー曲がオリコン20位以内に入ったら、ヌード写真集を出す”という条件が決まり、最終候補に残ったときは複雑でしたね(笑)」
“売れたら脱ぐアイドル”
それでも“大好きな番組からアイドルデビューできる”と覚悟を決めて、視聴者投票を勝ち抜いて合格。
「キャッチコピーは“売れたら脱ぐヌイドル”。デビューするにあたって、当時司会を務めていた松本明子さんが“松田聖子さんに作詞をしてほしい!”と、アポなし企画でご本人にお願いしてくださり、それが実現しました」
しかし、オリコンランキングは27位にとどまった。
「でも、CDを買って応援してくれた人に恩返しをしたいという“設定”で、セミヌード写真を撮ることに。番組プロデューサーの土屋敏男さんが手がけていた別の番組で、ウッチャンナンチャンの南原清隆さんが一般の女性の“半ケツ写真”を撮る企画が行われており、南原さんに撮影していただきました」
その写真は、CDを買ったファンだけが参加できるイベントで、ほんの一瞬だけ公開されたという。
「『電波少年』を卒業してから、視聴者には“結局、脱いだの? 脱いでないの?”という曖昧な記憶が残ったみたいで。'00年に、ちょうどVシネとヘアヌード写真集のオファーが同時に来たので、思い切ってやりました。その後、イメージDVDも2本出しました。ただ、1回脱ぐとそういうオファーばかりになるんです。脱ぐのは簡単だけど、着るのは大変でしたね(笑)」