目次
Page 1
ー 原宿のホコ天で歌った日々
Page 2
ー 内向的だった少年が詩と言葉の面白さに目覚めて
Page 3
ー 人生を変えた沖縄での経験、『島唄』の大ヒット ー 再開未定の活動休止期間に
Page 4
ー 「社会を見て感じたことを、音楽に昇華する」 ー ブラジルに魅せられ、多国籍メンバーとツアー敢行
Page 5
ー 沖縄民謡と「くるち」を次世代に残す取り組みを
Page 6
ー どんな小さな約束も守る、気遣いに満ちた素顔
Page 7
ー 2年間の活動休止で見つめ直した自らの居場所

 6月最初の真夏日、宮沢和史は故郷・山梨県甲府市の朝日通り商店街にいた。THE BOOM初期の人気曲『星のラブレター』の歌詞に登場するこの通りは実在しており、ファンの聖地でもある。

原宿のホコ天で歌った日々

原宿の歩行者天国でライブ活動をしていたころのTHEBOOM。宮沢は大学の卒業式、衣装の上にコートを着て出席。そのままホコ天に駆けつけた
原宿の歩行者天国でライブ活動をしていたころのTHEBOOM。宮沢は大学の卒業式、衣装の上にコートを着て出席。そのままホコ天に駆けつけた

「大学生のときに書いた曲です。プロになりたくて毎週日曜日、原宿のホコ天(歩行者天国)で歌っていましたが、すごい数のバンドがいるから、シンプルなメロディーが耳に留まると思ったんです」

 緑や花のあふれる清潔で可愛らしい商店街は、曲の持つイメージにぴったりだ。

 幼いころから釣りをしたり、高校のころ、通学路として利用していた荒川の河川敷も案内してくれた。上流にダムができたことも一つの要因だろう、水質は子どものころのほうが良かったようだが、ゴミが見当たらず、よく手入れされている。

ミュージシャン・宮沢和史(58)撮影/伊藤和幸
ミュージシャン・宮沢和史(58)撮影/伊藤和幸

「『未来の荒川をつくる会』というNPO法人があるんですが、地元の有志やボランティアの人たちが毎月集まってゴミ拾いや草刈りをしています。もう15年くらいやってるんじゃないかな」

 このNPOはもともと宮沢の父親が深く関わっており、宮沢も推進委員長として名を連ね、忙しくても1年に1度は清掃活動に参加しているという。

 今年、宮沢は音楽生活35周年を迎えた。春にアルバム『~35~』をリリースし、5月に東京・日比谷、6月に大阪の野外音楽堂で大規模な記念コンサートを行った。そして、この取材の数日前に締めくくりとして甲府市の武田神社甲陽武能殿で開催された『ふるさと山梨にて愛と平和を歌うLove Songコンサート2024』を成功させたばかりだった。

 円熟を深めた芳醇な宮沢の歌声をピアノとパーカッション、ベース、バイオリンのミニマルな演奏が支え、樹々の香り、ざわめき、鳥の声、参拝の鐘の音までもが粋な計らいと思えるような、それは美しいコンサートだった。

 この記念コンサートツアーは、宮沢自身、サポートメンバー、観客、誰もが喜びと幸せを噛みしめるような素晴らしいものになった。35年目にして、「今がいちばんいい状態」だと宮沢は言う。

「やっぱり一回、歌手を引退したことが大きかったと思います。それまでの人生の年表から離れたことで、自分を客観的に見ながらやりたい曲やファンが喜んでくれそうな曲を選んだり、バンドメンバーを決めたりすることができた。この周年は自分より、ファンの人や歴代のお付き合いのあるスタッフ、メディアの人たちのほうが主役だなと思いました。僕は歌うホストの役割という感覚です」