ドクター・中松 撮影/佐藤靖彦
ドクター・中松 撮影/佐藤靖彦
【写真】端正な顔立ちで仕事に励む青年期の中松さん

 中松さんは、質問(「公約を教えて」など)を送ると瞬時に回答をする「答えマース」というAI(人工知能)チャットを開発し、今回の選挙に臨んだ。

「街頭演説は一方通行です。しかし、『答えマース』は有権者と双方向になれる発明的選挙だった。こういった新しい選挙の形があったことについても触れてほしかった」

政治活動を志した理由

 都知事選は8回出馬。衆院選、参院選も含めると、その回数は17回にも及んでいる。

「私には後ろ盾になる政治団体もありませんから、すべて私財」と胸を張って答える姿は、売名目的で一度選挙に立候補するだけの泡沫候補とは比較にならないだろう。

 中松さんが、政治活動を志したのは’90年ごろ。終戦間際にスイスで日米和平工作に奔走した元海軍中佐の故・藤村義朗さんから、「総理大臣になって日本をよくしてくれ」と遺言を残されたからだった。

私は海軍機関学校の出身だから、藤村さんは先輩。家族ぐるみで仲良くさせていただきました。藤村さんの遺言を達成できていないわけですから、申し訳ない気持ちしかない

 だが、何度も挑戦する“ネバーギブアップ”の精神は海軍譲りであり、藤村さんの遺志を継いでいる。

 自ら発明したフライングシューズを履いて、彗星のごとく都知事選に登場してから、30年以上の月日が経過した。選挙期間中に誕生日を迎え、96歳になった。

 この日の取材では、ドルチェ&ガッバーナのセットアップに、ヴェルサーチのベルトを着用。足元はフェラガモの室内履き。

 ジャケットを指さし「これは特別仕様だから、世界に一着しかない」と笑う姿は、“ドクター・中松ここにあり”である。'13年には、前立腺導管がんを宣告されたが寛解した。どうすれば、いくつになっても活力が生まれるのか?

まず頭を使うこと。周知のとおり、私は今までたくさんの発明をしてきました。80代よりも90代のほうが発明が多く、増えているくらい(笑)。次に、運動をすること。今も1〜2時間かけて筋トレをしています。そして、食事ですね。私は『サイエンティックフーディーズ』といって、頭と身体によい食べ物を研究し、日々これらを食べています