とにかく虹輝はフェンシングが好きなんです。もう、ずーっと練習していられるというか……。時にはサボってしまうのが人間だと思うのですが、そういうことがなかった。もともとあった身体の強さに、技術も加わって、3年生のときにインターハイで優勝をしました」(冨田さん、以下同)

金メダル獲得へと導いた“別れ”

 まさに努力の天才でもある加納だが、冨田さんはこんな質問をしたことがある。

東京五輪でも団体で金を獲得した加納虹輝と記念撮影する冨田さん(右)(冨田さん提供)
東京五輪でも団体で金を獲得した加納虹輝と記念撮影する冨田さん(右)(冨田さん提供)
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「団体戦で金メダルを獲得した東京五輪が終わった後、虹輝に“何歳まで競技をやっていたい?”と聞いたら、彼は“やれるまでやりたいです”と話していました。日本代表になった今も高校時代と同じように、ずっと練習しているようなんです。だから努力がつらいとかっていう次元の話ではなく、彼にしてみれば“フェンシングって楽しいですよね”という気持ちで練習に取り組み続けているのだと思います。そこが一番すごいことだと感じています」

 ただ、こんな偶然が金メダル獲得へ押し上げたのかも。

実は、加納が1年生のとき、私は違う学校へ移ることになったんです。私は胴体のみが有効打となるフルーレという種目を教えていたのですが、加納は泣きながら“先生がいなくなったら、僕はどうしたらいいんですか?”と言うんです。私は“おまえなら大丈夫”と言ったのですが、加納はその後、全身が有効打となるエペ中心の選手となったんです。なので、結果的に私がいなくなってよかったのかなと思ったり(笑)。それでも素晴らしい選手の指導に携われたことは、本当に幸せなことでした」

 悲しき別れが、加納を金メダリストへと導いた。