カルーセル麻紀さんから見た夫婦仲

『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)などで、崑さんと共演した経験を持つカルーセル麻紀さんは、2人の夫婦仲についてこう話す。

「番組でご一緒したとき、崑さんは私の爪を見て、『うちの奥さんはネイルサロンを経営しているんですよ』と話しかけてくれました。彼の奥さんが、爪のない人にきれいな爪をつけてあげ、その人が感激して泣いて喜んだという心温まるエピソードを、崑さんはうれしそうに話すんです。その話は、今でも鮮明に思い出に残っていますね」

 お互いをきちんと気にかけること。崑さんのぽっこりしたお腹を気遣って、肉体改造を提案したのも瑤子さんだった。干渉しすぎないように。かといって、放っておかないように。

「私は芸能界のことはわかりませんが、とても器用な人だと思うんですね。例えば、台本が届いたら、普通であれば一生懸命暗記しますよね。ところが、彼の場合は、ほとんど置きっぱなし。心配になって、一緒に台本を読もうか、なんて聞くんですけど、『瑤子さんの声だと役になりきれへんからいいわ』って取りつく島もない。いつ練習していたんだろうって思うんですけど、本番を迎えるとバシッと決めるんですよね。押さえるところは押さえてスッと入っていく。隣で見ていて、そういう才能に長けているなって思います」(瑤子さん)

 後年、筋トレでもその才能は発揮されるわけだが、その話をする前に、「40歳までに死ぬ」と医師から宣告されていた崑さんが、どうしてこんなに元気なのか─である。

「無病息災とはよく言うけど、僕の場合は一病息災です。周りは、『病院嫌い』『薬嫌い』でしたけど、僕は肺が片方なかったから怖がりやった。メンテナンスを心がけていたから、『病院好き』『薬好き』なんです。とはいえ、40歳を迎えたときは、『明日死ぬんかな』なんてビクビクしながら毎日を過ごしていたなぁ」

 朝、目覚めると、「よかった。生きている」。翌日も、翌々日も、その繰り返し。気がつくと、41歳の誕生日を迎えていた。

「死ねへんやん!って(笑)。何の根拠があって40歳って言っていたのか……見事にだまされましたわ」

 豪放磊落、暴飲暴食、その果てに身体を壊し、泉下の客となった昭和のスターは珍しくない。だが、酒宴の席でも崑さんはポリシーを貫いたという。

「僕はお酒を飲むにしても、グラス一杯程度だった。だけど、『伴淳三郎もフランキー堺も俺の酒を飲んだのに、おまえは飲めないのか? 生意気だぞ』と言われる。『やめてください。結構です』と突き返すとお酒がこぼれちゃって。そのままケンカになっちゃったこともありました(苦笑)」

 楽しくない場には居合わせたくない。だから、サクッと飲んで、すぐにいなくなる。ついたあだ名は、“ドロンの崑ちゃん”。「アレ? また崑ちゃんがいない!?」。まるで喜劇のひとコマである。

「飲みの席ってね、最後は必ず人の悪口に花が咲く。それを聞くのが嫌だから、ササッといなくなる。ところが翌朝、僕が『おはようございます』って挨拶するでしょ? すると、みんなの『おはようございます』がぎこちない。あ~これは、僕の悪口を散々言っていたんやろなって」

 そう笑顔を見せると、スマホの写真フォルダを器用に開き、「これ見て」と手招きする。

「この前、とあるお店に行ったらトイレに飾られていたんです。『負けるな、腐るな、焦るな、威張るな、怒るな』。これこそ、僕がイメージしている考え方そのもの。これを心がけていたら病気しなくなりました」