目次
Page 1
ー 不妊症の診断結果がきっかけに
Page 2
ー 登録してすぐに養子縁組の話がきた
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ー 欧米に比べ、特別養子縁組が浸透していない

 

 約20年にわたり、TBSでアナウンサーや報道記者として活躍してきた久保田智子さん(47)。子育てに関する番組制作を担当していた経験や、姫路女学院中学校・高等学校での外部講師の実績などが縁となり、今年の4月から姫路市教育長に就任した。

 就任と同時に、5年前に特別養子縁組制度で長女として迎え入れたはなちゃん(仮名)と姫路に移住。東京に住む夫とは月に2度ほど行き来しているが、平日はワンオペで仕事と育児を両立している。

子どもの適応力ってすごいですよね。保育園でさっそく姫路の方言である播州弁を覚えて、使いこなしてますよ(笑)」(久保田さん、以下同)

 生後数日のはなちゃんを養子に迎えて約5年、子育てで大変なことはもちろんあるが、「こんなに幸せでいいのかな」と、奇跡に感謝する気持ちは今も変わらないという。

「血がつながっていない子どもを本当にかわいいと思えるのか、周りの人にもよく心配されました。でもいざ親子になってみると、娘のことが本当にかわいくて、毎日が楽しい。この幸せは当たり前ではないと、つくづく感じます」

家族でタイの動物園に行った 写真/本人提供
家族でタイの動物園に行った 写真/本人提供

不妊症の診断結果がきっかけに

 久保田さんが特別養子縁組について真剣に考えるようになったのは20代のころ。「不妊症」と診断されたことがきっかけだった。

子どもを持てないとわかると、子どもがいる生活への憧れがますます強くなっていきました。そんなとき、特別養子縁組制度を利用した家族のドキュメンタリー番組を見たんです。こういう制度があることに、救われた気持ちになりました」

 2015年、38歳で他局の記者と結婚。結婚前に自身の不妊症と、特別養子縁組についての思いも伝えた。

「細かいことを気にする私と違って、彼はおおらかで前向き思考な人(笑)。僕は久保田智子さんと結婚したいのだから、子どもができるかできないかは関係ない。でも子どもは好きだし特別養子縁組もいいかもね、とポジティブに受け止めてくれました」

 結婚後すぐ、夫の仕事の都合で渡米。2018年に帰国してから、夫婦で特別養子縁組の説明会や研修に参加し、お互いの気持ちを話し合った。

 特別養子縁組にあたっては、夫婦だけでなく、お互いの家族の意思も確認しておかなければならない。夫婦に事故など万が一のことがあって子どもだけが残されたとき、あとの養育を任されるのはほかの家族になるからだ。

 久保田さんの場合、父親は前向きに受け入れてくれたが、母親は当初、不安な様子だったという。だが話し合いを重ねるうち理解を深め、応援してくれるようになった。

「お義兄さんご夫婦も真剣に考えてくれました。家族、親戚みんなで深い話し合いができて初めて、子どもを迎え入れる準備が整うんです」