この1冊以外いらない“最終小説”を求めて
『カエルの死』を再現したノートに、夢枕は自作の句も綴った─。
青き鱗の
どこまでが哀しみぞ
蛇眠る
ゴジラも
踏みどころなし
花の山
「10年くらい前から、世界で一番短い小説としての俳句をやっているんですよ。年老いて、よれよれになって、いよいよ長編が書けなくなったら俳句でやればいいと思ってね」
小説家になる道に自分を導いてくれた父は74歳で亡くなった。その年齢を目前にして、晩年の生き方を考えることもある。とはいうものの、書きたい話はまだ山ほどある。そして、その山々をいまも夢枕は登っている。
かつて、林家彦いちが仲間とともにSWA(創作話芸アソシエーション)という団体を旗揚げした際、夢枕は5人のメンバー全員にノーギャラで新作を書き下ろした。彦いちのために書いた演目は『史上最強の落語』。一つの噺の中にすべての話芸の面白さが入っている“最終落語”を巡るストーリーである。
実は夢枕は、文芸の世界における“最終小説”を書きたいという野心を抱いていた。
「将棋の世界には、先手がこう指せば必ず勝つという“最終定石”があるのではないかといわれているんです。それなら小説にも、この1冊さえあればほかのすべての小説がいらなくなってしまうような最終小説があるのではないかと。で、どういうものが最終小説たり得るのかと考えたときに、それは神と宇宙と人間のことを完璧に書いた物語だろうと定義したんです」
それが書けたら、ノーベル文学賞は夢枕獏の受賞を最後に消滅するに違いない。文学の歴史がひっくり返るほどの大望であるが、夢枕は30年以上も前からたくらみ続け、足跡ひとつない山嶺を目指して歩を進めてきた。
「神とは何かということを突き詰めていくとね、古代へ、古代へと遡って、縄文時代に行っちゃうんですよ。ギリシャ神話はあるけれど、縄文時代に文字はないので神話が残っていないんです。だから土器や土偶なんかを手がかりに縄文人が信仰した神を探っていくうちに、世界的なレベルに広がっちゃってね。
7万年前にアフリカを出た人類の祖先と一緒に旅をしてきた神が、今も生きているんです。例えばコンゴの仮面は、片目をつぶり、鼻が曲がって、口が歪んでいる。こういう面が各地に伝わっていて、日本にも火男の面があるでしょう?
アフリカにいた神が、どうやって日本までやってきたのか、アラスカあたりまでは、たどったんだけれども、調べれば調べるほど神の足取りが複雑すぎて、いろんな学者と友達になったりしたもんだから、適当なことが書けなくなって、とても小説には落とし込めなくなってしまって。だけど話のネタには尽きないから、アウトドア雑誌の『BE―PAL』に頼んで、釣りをしながら書いてもいいという条件つきで(笑)、『忘竿堂主人伝奇噺―古代史を遊ぶ―』という連載をスタートしたんです。縄文に淫してふくらんだ妄想を垂れ流すように書く。小説ではないけれども、いま僕がいちばん面白いと感じている原稿がこれだね」
膨大な知見に彩られた妄想のバトルロイヤル。なにしろ主人公は夢枕本人である。最終小説にはならないものの、作家・夢枕獏にとって“最強の物語”になることは間違いない─。
<取材・文/伴田 薫>