ビジネスシューズとハイヒールの二足生活へ

ドラァグクイーンのユニット『八方不美人』。左がドリアン
ドラァグクイーンのユニット『八方不美人』。左がドリアン
【写真】ゲイとしてのアイデンティティーが芽生え始めた高1のドリアン・ロロブリジーダ

 順調に滑り出したドリアン・ロロブリジーダとしての活動とは反対に、大学生活は思うようにいかず、単位が足りず卒業できなかったため、留年を親に懇願。大学へ入学して5年目に入っていた。

「ドラァグクイーンの活動が楽しくなって、大学にはほとんど行ってなかったので、単位や卒業なんかのことはずっと見て見ぬふりをし続けて……どうにか1年留年させてもらったんですけど、これはもう無理だと思って、勝手に退学届を出したら通知が親に行って。母には泣かれましたねぇ」

 ところが海外赴任中の父親に代わってドリアンを叱った母親は、このときもその行動を否定しなかった。

「母にはものすごく怒られたんですけれど、怒られたのはその日だけ。翌日には『働いて、家にお金入れなさいよ』と言われて。そういうジメジメを引っ張らないのも、母に似ているところだと思います」

営業職だったころのドリアン
営業職だったころのドリアン

 なんとか新卒扱いで化粧品メーカーに入社し、二足の草鞋ならぬビジネスシューズとハイヒールの二足生活が始まるかと思いきや、社内で気になる男性と恋仲となり、同棲生活が始まった。

「大学生活がメタメタで終わったので人生立て直さないといけない時期だったし、彼がドラァグクイーン活動に肯定的な人ではなかったから、4年ほど女装をしませんでした。あそこでずっと女装を続けていたら、会社もすぐに辞めていたかもしれませんね。もし順当に大学を卒業してちょっといい会社になんか入っていたら、勘違いして、とても嫌なヤツになっていたと思うし、ドラァグクイーンもやらなかったかもしれない」

 出版社などへ出向いて商品PRのため駆けずり回ったり、マーケターとして売り出し方を考える毎日を過ごした経験は、今の活動の血肉になっているという。

「私は凡庸で、どこかで理性が働いてしまうタイプなんです。周りのドラァグクイーンの方たちはナチュラルボーンな才能をお持ちの方ばかりなので、つまらない私なんて本当に敵わない。

 なので会社員時代に培ったマーケター気質を発揮して、どうしたらいいのかを考え、ステージ上ではいつも頭はフル回転、毎回手を替え品を替え、口八丁手八丁でやっています。会社員時代だけじゃなくて、近所のグループとの出会いもそうだし、新宿二丁目で過ごした若いときも、女装しなかった期間も、すべてが今につながっているんです

 別れて同棲を解消してからは、ドリアン・ロロブリジーダとしての活動を再開、本格的にビジネスシューズとハイヒールの二足生活を送るようになる。

 またスッピン&タキシード姿で相棒のTADASHIと一緒に好きな歌を歌う歌謡ユニット「ふたりのビッグショー」を結成、活動の幅を広げていった。

 二足生活をスタートさせたドリアンが30歳になったばかりのころ、母親にがんが見つかった。