柘いつかさんにブランディングされ江戸料理研究家の道へ
出会いから18年。今ではいつか事務所にスタジオを提供してもらっているが、出会ったころの浮代さんは独立してやっていける状態ではなかった。一方、いつかさんは、すでに何十冊も本を著し、十数万部のベストセラーも出す売れっ子作家。多くの著名人とも付き合いがあった。最初に会ったときのことを、いつかさんは振り返る。
「2人でそのパーティーを抜け出して、新宿二丁目に行ったことがないというので、案内しました。映画の話で意気投合し、いろんな作品の話をしました。本ばかり書いていたので、久しぶりに映画の話ができて楽しかったですね」
いつかさんは、ちょうど『大江戸散歩道』という東京の中の江戸を紹介するガイドブックを出すことになっていた。いつかさんは3代目の江戸っ子。だが、東京は知り尽くしていても、江戸には詳しくない。浮代さんは扉に使えそうな浮世絵をたくさん所蔵していたこと、また江戸に精通していたことでアシスタントに入ることになった。
いつかさんは浮代さんに「まずは着替えなさい」とアドバイスした。バンドをやっていたときのような黒ずくめのファッションに、コテコテの関西弁。これで江戸文化を語っても説得力がない。東京言葉を身につけさせるべく、親代わりの三遊亭圓窓師匠のもとで落語を習わせた。着物を着せ、雑誌にも登場させた。

「実は私が1歳上なんですけど、いつかさんの人生経験は素晴らしく豊富。肝が据わっていて人脈も多く、精神年齢は大会社の会長クラス(笑)。アドバイスに素直に従いました。今も叱られることは、ままあります」(浮代さん)
「私はプロデュースが得意。せっかく東京に来て縁を持ったんだから、うまくいって、喜んでもらえたらうれしいですし」(いつかさん)
浮代さんを売り出し、本が出せるようにするには、セールスポイントが要る。車浮代の強みは何か?といつかさんは考えた。浮世絵に詳しいといっても、大学教授でもないので、世間には通らない。小説は書いていたが賞を取っていないから、作家になるのは厳しい。シナリオも書けるが、書いたものがすぐに映画やドラマになるわけがない。あれこれ出し合ううちに、いつかさんはひらめいた。
「“江戸料理”はどう?」
これもひとつの転機となる。
「言われてみれば『大江戸散歩道』で江戸の食文化について調べていたとき、松本で作っていた料理に非常に近いと感じていたんです。
江戸の調味料の基本は、塩・みそ・しょうゆ。冷蔵庫がないので、いろんな方法で保存していた。干したり、漬けたり、発酵させたり。私、これ松本で作っていたわと」(浮代さん)
江戸時代に、千葉県の野田や銚子で濃口しょうゆができたことで、江戸前の鰻や天ぷら、そば、寿司などが発展したそうだ。
「日本料理のルーツは京都ですが、おかずのルーツは江戸。きんぴらや煮っころがしなどの惣菜的なものは江戸から全国に広がったんですね」
江戸時代にも料理本は出されている。料理人のための料理本しかなかった中で『豆腐百珍』という庶民のための料理本が出され、ベストセラーになった。

「豆腐がヒットすると、こんにゃく百珍、大根百珍など次々出されたんですよ」

古い資料もひもときながら江戸料理を調べて、自分で再現しながら覚え、2010年には「さしすせそで作る〈江戸風〉小鉢&おつまみレシピ』を出す。これをきっかけにテレビで再現料理を披露したり、解説をしたり。『江戸っ子の食養生』など、江戸料理の本を何冊も発表してきた。
昨年の春には“うきよの台所”という江戸風のキッチンスタジオをオープン。博報堂系の空間デザイナーと、大河ドラマのセットも手がける美術会社に依頼した、博物館級の丈夫なセットだ。台所以外の全室は自分たちで、DIY用の漆喰を塗った。美大卒の才能を生かして細部にもこだわって、江戸情緒漂うスタジオが完成。ここで料理撮影をしたり、貸しスタジオとして使うことも。
「いま執筆に忙しくて、再現動画のほうが手薄になっているのが気がかり。もっと世界中の人たちにも見てほしいと思っているんですが」