目次
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ー 被災者の言葉に深く頷いた天皇陛下
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ー 日本赤十字社も6000人もの救護班を
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ー 雅子さまから愛子さまに受け継がれる「バトン」

 '95年1月17日、午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災。国内で初めて震度7を記録し、6400人以上の命が失われ、全壊と半壊した家屋の合計はおよそ25万棟に上るなど、戦後初の大都市直下型地震災害として多くの教訓がもたらされた。

 今年、震災から30年の節目を迎え、天皇、皇后両陛下は17日に行われた追悼式典に参列された。

被災者の言葉に深く頷いた天皇陛下

「陛下は“被災されたみなさんが、困難な現実を前にしながらも互いに励まし助け合い、懸命に前へ進もうとする姿は、今もなお脳裏に深く刻み込まれています”などと追悼の言葉を述べられました。震災から30年が経過し、当時の状況を知る人は減っています。犠牲になった方々を弔うとともに啓発活動の一環としても、追悼式典は意味を成すと思います。両陛下もそうした心持ちなのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

 追悼式典の前日、両陛下は地元関係者と懇談された。『NPO法人多言語センターFACIL』の設立代表者で、武庫川女子大学教授の吉富志津代さんは、両陛下との交流を振り返る。

「日本で生活する外国人が必要とする情報の翻訳や生活するうえで必要な通訳、地域の多言語環境を促進する活動などについてご説明しました。陛下からは“大切なことをしていらっしゃるんですね”と声をかけていただきました。雅子さまは“当時はご自身も大変だったでしょう”と、私も被災者であることに気を配ってくださり、温かい言葉をかけていただきました」

 同日、障害者とともに創作活動をしている支援福祉団体『100年福祉会(片山工房)』理事長の新川修平さんは、自身の被災状況を両陛下に説明した。

「私は自宅が全壊になったので、半年以上、避難所での生活が続きましたが、“炊き出しの炎が明日をつくってくれました”と両陛下にお話ししました。炊き出しのときは、職業や年齢、肩書もバラバラで、障害のある人も関係なく、みんなで一緒に同じ釜の飯を食べるのです。

 そのとき、誰もが同じ目線で懸命に一日を生きていることを実感しました。この出来事は今の私の原点になり、“障害者である前に人である”という考え方が芽生えました。両陛下に“みんなが同じ目線で物事を見ることができる社会づくりに貢献したいと思っています”と話すと、深く頷いてくださいました」