『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務めるつげのり子さんは、式典における雅子さまの印象について、次のように語る。
「'95年のときは震災直後だったので、雅子さまは伏し目がちで悲しげなご様子でしたが、今回は震災から30年ということもあり、前を向いて背筋を伸ばしながら、関係者の方々と接していらっしゃいました。神戸の街の復興が目に見えて進んでいて、未来に希望がつながっていると実感されたのではないでしょうか」
日本赤十字社も6000人もの救護班を
これまで追悼式典は、在位中だった上皇ご夫妻が、10年ごとの節目にご出席。陛下は皇太子時代、震災から1年、5年、15年の式典に参列されたが、お代替わり後は初めてのご出席となった。つげさんは、'10年の追悼式典の雅子さまのお気持ちについて、こう分析する。
「震災から3日後、当時皇太子ご夫妻だった両陛下は中東諸国への訪問が決まっていました。直前に震災が起こったものの、政府の方針で変更できない状況でしたから、後ろ髪を引かれる思いで出国されたことでしょう。
その後、'10年の、阪神・淡路大震災から15年の追悼式典の際、雅子さまは適応障害で療養中でしたが、ご本人の強い希望で出席されたのです。出席を希望された背景には、発災当時すぐに被災地へ駆けつけることができなかったという悔恨の思いもあったのではないでしょうか。このときの追悼式典では、子どもたちの合唱に涙ぐまれ、ハンカチで涙を拭われている姿がとても印象に残っています」
阪神・淡路大震災が発生した’95年は“ボランティア元年”と呼ばれ、震災から1年間で延べ約130万人と数多くの市民ボランティアが駆けつけた。現在、愛子さまが嘱託職員として勤務されている『日本赤十字社(以下、日赤)』は、発災当時、全国から救護班を派遣、救護人数は約6000人に及んだ。
「赤十字ボランティアも発災当日から炊き出しや救援物資の搬送、救護班への同行支援などの活動に従事しました。震災後も啓発活動に励んでいて、昨年は阪神・淡路大震災に関する認知や意識についてのアンケートを実施。
震災を経験していない若年層は地震そのものを知らなかったり、被災規模についての認知度は低い傾向に。自分がそうした被害に遭った際、どのように行動すべきかを学ぶためにも、過去の災害を知ることはとても重要です。今回のアンケートをきっかけに“日頃の備えに対する意識を高めてもらおう”という狙いもありました」(日赤関係者、以下同)