3食すべてを手作り
館長を退任して時間にゆとりができてからは、食事はすべて自炊。
「毎日通勤していたころは、お昼は勤務先の食堂で外食でしたし、仕事の状況によって時間も不規則になりがちでした。それが退任してから新型コロナウイルスの感染拡大で外出ができなくなったため、3食自分で作って食べるように。朝食は庭仕事を終えてから、昼食は12時、夕食は19時と、毎日決まった時間にとるようになってから、お通じも体重も安定して、身体の気持ちよさを感じています」
食事の内容は、栄養バランスなど細かいことにはこだわっていないという。
「ごく普通の家庭料理です。朝はパンと野菜とヨーグルト、お昼は焼きそば、夜はしらす丼とおみそ汁にしましょう、といった感じで。気をつけていることといえば、冷蔵庫にあるものを残さず使い切ることぐらい」
時には誘われて外食を楽しむこともあるが、店屋物や市販の惣菜が食卓に並ぶことはない。
「子どものころからなんでも作って食べるのが当たり前でした。仕事で忙しくしていたころに一度、おせち料理を注文してみたことがあって。見た目はとてもきれいでしたが、食べてみたら自分たちが慣れ親しんできた味とはまったく違って、濃いやら甘いやらで箸が進まなかったんです。やっぱり家で作る味がいいと、一回で懲りました」
スポーツは好きで、子どものころから楽しんできたという。大学時代にはテニスでインカレに出場した経験も。
「今も時々テニス仲間からお誘いがかかってコートに立つことがあり、ボールを追いかけると本当にすっきりします。スポーツは見るのも好きで、大谷翔平選手の笑顔に元気をもらっています。将棋の藤井聡太棋士もそうですが、誰かと競争してやっているのではなく、自分の好きなことに思い切り打ち込んでいる姿に心を打たれます」
「健康のために意識してやっていることは何もありません。自然の一部として、普通に生きてきただけ」
ほほえむ中村さん。最後に週刊女性PRIME読者に向けてアドバイスをお願いすると。
「私が若い方によくお伝えしているのは、その時にはやっているとか、すぐに役立ちそうなことよりも、本当に自分が好きなことや面白そうと思うことを一生懸命やったほうがいいということ」
中村さん自身、生物学に興味を持って勉強を始めたころはDNAが解明されておらず、遺伝子学も周囲から理解を得られなかった。
「大学のクラスメートたちからは、将来どうなるかもわからない分野の勉強をするために大学院まで行くなんてばかだと言われて。でも21世紀になって、生き物のさまざまなことがわかってきました。そんな時代を生き、研究を続けてこられたことが私にとってどれだけ幸せだったか。夢中になることがある。年齢による不安の解消はこれではないかと思うんです」
中村桂子 1936年、東京都生まれ。理学博士。国立予防衛生研究所を経て、'71年、三菱化成生命科学研究所に入り、日本における「生命科学」創出に関わる。'93年「JT生命誌研究館」設立に携わり、2002年から'20年まで館長、現在は名誉館長を務める。著書に『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中公新書ラクレ)など。
取材・文/當間優子