元日から多忙な日々
今年は、穏やかな年の初めを迎え、佳子さまは、このように元日から多忙な日々を過ごしている。
「私自身は戦後20年たって生まれました。ですから、物心ついたころに、何かその痕跡みたいなものを感じるということはほとんどなかったわけです。戦争のことをきちんと理解するためには、当時のことを知っている人から話を聞いたり、書籍で読んだりとか、そういうことを自分で意識しながら行っていくことが大事なのではないか、と考えております。
また、子どもたちでしたか。これは娘とも話したことがあるのですが、やはり娘たちの世代というのは非常に戦争のことを知らない。そのことを彼女たちは意識しているようで、この70年という年をひとつの契機として戦争のことについて知る努力をしていかなければいけない、ということを話しておりました。また、息子はまだ小さいですけれども、今年(行きました)いくつかの戦争に関連する展示、それから催しなどを通じて、だんだんと理解をしていってくれればよいかと思っております」
今から10年前、戦後70年に当たる2015年8月、宮内庁は、秋篠宮さまの祖父で、佳子さまにとっては曽祖父となる昭和天皇が、ラジオを通じて国民に終戦を伝えた「玉音放送」などの録音原盤と音声を初めて公開した。また、昭和天皇が終戦の「聖断」を下した皇居内の地下施設・御文庫附属庫の写真や映像も公表している。
この年の11月、50歳の誕生日を迎える前に行われた記者会見で、玉音放送の原盤を聴き、御文庫附属庫を見学したことを明かした秋篠宮さまは、戦争について改めて考えたこと、戦争関連の企画展などに同行した佳子さまや悠仁さまがどう受け止めたのかを聞かれ、前述のように答えた。
さらに、秋篠宮さまは、
「今回この機会に貴重な玉音盤の再生ができたというのは、大変価値があると私は考えています。そして玉音盤と共に御文庫附属庫のほうも映像が公開されたということは、やはり昭和の歴史の一端を知るひとつの機会であると思います。
私自身、玉音盤と御文庫附属庫の見学を通して感じたのは(略)そのときの昭和天皇がどのような気持ちでマイクの前に立たれ、もしくは終戦を決めるときにどのような気持ちで話をしたのか、そのことに思いを馳せていました」
昭和の初めは、戦争の時代だった。1931年9月18日、満州事変が起きたとき、昭和天皇は今の佳子さまと同じ、30歳の若さだったことに驚かされる。先の大戦に敗れた1945年8月15日、昭和天皇は44歳で、現在、59歳の秋篠宮さまよりも15歳も年若である。このように考えてみると、30代から40代半ばまでの昭和天皇がどのような気持ちで長い戦時下を過ごし、どのような思いで終戦を決断したのか。重く、苦しい日々を過ごしてきたのだろう。そうした苦い体験が、戦後、昭和天皇があれほどまでに、平和な日本を望んでやまなかった、その原点のひとつになったのであろうか。
戦後80年となる今年、昭和天皇の孫である天皇陛下は、皇后さまと一緒に被爆地広島と長崎、それに沖縄を訪れるという報道もある。
「平和な世界を築いていくために、人々がお互いの違いを認め合い、共に手を携えて力を合わせていくことの大切さを感じます」。陛下のこの言葉にあるように、「平和な世界を築いていく」努力を佳子さまもまた、決して惜しむことはないだろう。
<文/江森敬治>