私生活では5人の孫の“おばあちゃん”

現在の柚月さんは、家人と愛猫のピノちゃんと暮らしている。
「娘と息子は家を出て、それぞれの家庭を持っています。2人ともわりと近くに住んでいるので、孫たちともときどき会っていますよ」
柚月さんには4月から小学校3年生になる男の子を筆頭に5人の孫がいるのだそう。家庭裁判所の家庭調査官が登場するミステリー『あしたの君へ』の担当編集者だった文藝春秋の川田未穂さんからは、孫に関するエピソードを聞かせてもらった。

「文芸誌『オール讀物』1月号では毎年、年男・年女の作家さんのグラビアを掲載しています。柚月さんが48歳になる年にこのグラビアにご登場いただき、撮影は寒い時季に神社で行われました。カメラマンが“何をお願いされるんですか?”と聞いたとき、柚月さんは“安産祈願です”とお答えになったんですね。それはお孫さんの安産祈願という意味だったのですが、カメラマンはお若く見える柚月さんが妊婦さんだと思ったようで“寒い中の撮影ですみません”と焦り出したんです。柚月さんはすぐにカメラマンの勘違いに気づき、“違うの!”“息子の子どもなのよ!”とおっしゃっていました(笑)」(川田さん)
そんな若見えのする柚月さんだが、孫からは“おばあちゃん”と呼ばれているそう。孫は、柚月さんの作品をおぼろげながらも把握しているそうで……。
「娘方の孫が4歳のころ、映画を見に映画館に行ったんですって。そこで上映されていたのが『孤狼の血 LEVEL2』。主演の松坂桃李さんたちのポスターが大きく張られていたそうなの。娘の家に本があったので見覚えがあったのか、よその子どもたちが子ども向け映画に目を輝かせる中、孫は『孤狼の血』のポスターを指さして“おばあちゃんのだ!”と大興奮(笑)。娘はずいぶん恥ずかしかったみたいです。それを聞いたときには“ごめんね。おばあちゃん、こんなきな臭い小説書いちゃって”って思ったけど、こんなおばあちゃんだから仕方ないよね(笑)」
孫たちは柚月さんが作家だとはまだ知らないという。
「それでいいんです。孫たちにとって私は柚月裕子ではなく、おばあちゃんですから」
震災から14年がたった今、柚月さんを取り巻く環境は大きく変わった。柚月さんの心境には、どのような変化がもたらされたのだろうか。
「実家がなくなり、父も母もいなくなったことを頭ではわかっていました。でも震災後しばらくの間は、ふとした拍子に“あ、そうだ。お父さんに電話しなきゃ”などと思っていた。そのたびに“違う違う。お父さんはもういないんだ”となって。うまく言えないのですが、それくらい、震災で止まってしまった時間と、現実に流れている時間との間に大きなズレがありました」
自分の中にできてしまったふたつの時間のズレが、容易に埋まるものではないことは想像できる。一方で、柚月さんの中では、ふたつの時間のズレが、この14年の間に少しずつ埋まっているような感覚もあるという。
「震災のあの出来事が、自分の中で現実と同化していく感じ。単独の出来事ではなく、自分が生きている時間の中に組み込まれ、自分に同化しつつあるように思います。
いつズレが解消されるのかは自分でもわかりません。でも今回『逃亡者は北へ向かう』を書き切れたことで、自分の中のズレがまたちょっと縮まったようにも思います」
『逃亡者は北へ向かう』のエピローグには、《いまを生きる》という言葉がある。
「震災に限らず、生きている中で誰もが“もうだめだ”“息をしているのもつらい”と感じる経験をしたことがあると思うんです。でも、この1秒を、今日の『いま』を何とかやり過ごし、それを繰り返していけば1週間、1か月、1年がたっていて、その間に希望を持てる日が来るかもしれない。物事というのはきっと、今日の『いま』を生きることに尽きるのでしょうね。56年生きてきた中で、そのことをいちばん強く感じています」
<取材・文/熊谷あづさ>