目次
Page 1
ー 見落とされたがんが父の死を機に判明
Page 2
ー 副作用で手足の皮がむけ、爪も失う
Page 3
ー ステージで歌い闘病する人に勇気を

「つらくても、ステージで歌うことが私のパワーの源。明日も頑張ろうって思える歌を届けたいです」

 そう話すのは、4年前にステージ4の肺がんと診断されながらも、バンド活動を続けているがんサバイバーの小島弘美さん。ステージではハツラツとした姿を見せる彼女だが、その陰にはがんと闘う壮絶な日々があった。転移、治療による過酷な副作用に加え、父、そして同じくがんを患ったバンド仲間との別れ。それでも前向きにがんと闘い、生き抜いてきた彼女のモチベーションを聞いた。

見落とされたがんが父の死を機に判明

「つらい治療も、先生のサバサバした対応で逆に感情的にならずに済みました」。(手前が小島さん)
「つらい治療も、先生のサバサバした対応で逆に感情的にならずに済みました」。(手前が小島さん)

 小島さんが最初にがんに気づいたのは、'17年。皮肉にもがんの闘病をしていた父の死がきっかけだった。

「半年の余命宣告を受けた直後に父は急逝しました。葬儀の日、シャンとした姿で見送りたいと、ふだんの下着はブラトップなのですが、ちゃんとしたブラジャーを着けたんです。そのとき、胸を触ったら、あれ?って」(小島さん、以下同)

 その違和感は的中。乳腺外科で診察を受けると、乳がんだと診断された。実は、その半年前と数か月前の2度、別の病院の乳がん検診で“異常なし”という結果を得ていた。そのためショックは大きかった。

「今でも“父が教えてくれた”と思っています」

 幸いにもがんは小豆程度の大きさということで、父の四十九日を終えてから乳房温存手術でがんを切除することに決めた。

 ところが、この治療法の選択が後悔を呼ぶことに。乳がんの手術から3年ほどたったころ、バンド活動中に息苦しく、思うように声が出せないことが増えたのだ。

 CT検査の結果、肺がんが見つかる。完治したと思っていた乳がんが転移し、胸水がたまって呼吸を困難にしていることがわかった。

「主治医からは抗がん剤治療をしなければ命の保証はできないと伝えられましたが、声が出しづらかった理由がわかり、妙に冷静にステージ4という現実を受け止めた自分がいました。でも、『乳房の全摘を選択していたら転移する可能性が低かったのでは』と思うと気持ちが沈んで。同時期に乳がんを患ったバンド仲間の奥さんは全摘手術をして寛解に向かっていたので、自分の選択を悔いました」

 このころ、夫とも離婚。乳がんの手術後の通院のため、実家に戻っていたが、そのまま夫と別居生活を続けることになり、妊活もあきらめ、3年ほどたって別れを決意した。

「悪いことが重なったように見えるかもしれませんが、自分のための選択でした」