「できない」と背中合わせ

「コロナ禍を経て、昨年には『(移籍前の)2013年の状態にやっと戻ったな』という実感があった。10年かかったし、同じところに戻ってきただけだけど。でも、当時は何も知らずにそこにたどり着いた、今回は自力でそこに行った。それには意味があったなと思いました」と尾崎
「コロナ禍を経て、昨年には『(移籍前の)2013年の状態にやっと戻ったな』という実感があった。10年かかったし、同じところに戻ってきただけだけど。でも、当時は何も知らずにそこにたどり着いた、今回は自力でそこに行った。それには意味があったなと思いました」と尾崎
【写真】「バンドで何かを目指している状態」音楽に目覚めた中高生時代の尾崎世界観

 千葉・市川市文化会館でのライブ終演後、楽屋に戻った尾崎は、ハイボールの缶を片手に心境を語ってくれた。今回のツアーは、これまでのツアーとは違う感覚がある、と。

「来てくれたお客さんに本当に満足してもらえるというのは、どういうことなのかを、より考えるようになりました。前はもっと、時代の流れみたいなものに乗って自分たちがどこまで行けるか、そんなことを考えてしまっていたけれど、そういうのはもうないとわかった。それよりも、おカネを払ってライブ会場に来てもらえるということが、何よりすごいと思うので」

 ようやく、10年前の全盛期以上に、良い状況を迎えた今─「正直、曲の作り手としては、もう満足している」と言う。それでも続けるのは「お客さんがいるから。お客さんだけは裏切れない」とも。

「ライブで演奏するときの理想があって、そこに対して歌詞が飛んだり、ピッチ(音程)が外れたり、声がかすれたり、ギターのコードを間違えたり、いろんなことがある。生で何かを表現するということは、『できない』ということと、常に背中合わせなので。ずっとそれと向き合っていく、ということですよね。小説『転の声』の最後に、《彼女が見たいものはプロがする価値ある失敗で、自分はステージ上でそれを見せ続けることのできる失敗のプロだった》という一文を書いたんですが、ほんとそうだなと思っています」

 子どものころ、何もできなかった。大人になったら、音楽で成功したら、できるようになると思っていた。でも、違った。「できない」ということと、いつまでも向き合い続ける─そんな現実を今、尾崎は受け止めている。

「絶望している、とかじゃなくて。本当にうまく歌えても、デビューできない人だって山ほどいますよね。じゃあなぜ自分たちが求めてもらえるのか。それだけはしっかり考え続けたいです。クリープハイプのライブに来てくれる人たちには、幸せになってほしい。『ここを選ぶか!』と思うから」と、最後に尾崎は言った。

 ベテランの域に達しているバンドとしては珍しく、いまだに10代や20代の新しいファンもライブに集まり続ける一因は、尾崎の、こういうところにあるのかもしれない。
ライブ会場の席で彼氏と2人、開演を待っていた高校生の女の子に、クリープハイプのどこが好きなんですか?と聞くと、こう答えてくれた。

「歌詞に隠されたメッセージがあって。何回も聴いて、わかるような。刺さる歌詞が多くて、救われますね。ほかのバンドとは全然違います。私にとって唯一無二なので!」

<取材・文/兵庫慎司>

ひょうご・しんじ 1991年から2014年までロッキング・オン社勤務、翌年からフリーの音楽ライター。奥田民生、エレファントカシマシ、電気グルーヴなど、多くのアーティストのインタビューやライブ評を担当。