現在放送中のNHK連続テレビ小説『あさが来た』で、主人公である『あさ』のおじいちゃんを演じている林与一は今年73歳。クールな二枚目俳優として知られ、若いころから数々の映画やドラマに出演。
「僕は異端児でね。歌舞伎役者の家に生まれたんだけど、学生のころは商業デザイナーになるつもりでした。歌舞伎役者みたいな、あんな同じことを毎日やるのはバカバカしいと思っていましたから」
ニヒルな侍を演じさせたら右に出る者はいないとも言われた。そんな林に役者になろうと思ったきっかけを聞くと冒頭の言葉が返ってきた。
林の曽祖父は歌舞伎役者の初代中村鴈治郎。祖父は同じく歌舞伎役者の林又一郎で、父親の林敏夫は四代目坂田藤十郎や中村玉緒とは従兄弟の関係にあたる。時代劇の大スター、長谷川一夫は義理の大叔父にあたる。
梨園の名門に生まれた林だったが、子どものころは身体が弱く、初めから役者を目指していたわけではなかった。
しかし、歌舞伎役者の家に生まれたからには1度でいいから舞台に出てくれ、と両親に懇願され、1度だけならと、15歳のときに舞台に上がる。
「そうしたら、これが気持ちよくて。家柄がよかったから観客がみんな拍手してくれますし、屋号で声はかかるし、役者ってこんなに気持ちがいいものなのかと思いました。それで、やりますって“役者宣言”しちゃったんです」
晴れて役者となった林は次々と役に恵まれて、あれよあれよという間に、大阪で人気役者のひとりに数えられるように。そして18歳のときに、劇作家である菊田一夫に、映画会社の『東宝』に来ないかと誘われた。
「当時、歌舞伎では役者を貸すことがなかったんですが、僕は歌舞伎が下手なのに、お客様からうまい、しっかりしている、美男子だなんて褒められ、悪く言われたことがなかった。よし、これはいい機会だ、大海に出て自分の本当の技量を確かめようと思いました。それで東宝に行くことにしました」
上京した林は長谷川一夫の家に居候して、長谷川の付き人をしながら、人として、役者として必要なことをすべて長谷川に学んだという。
長谷川に師事しながら、役者の道を邁進していた林は、昭和39年(1964年)、市川染五郎(現・九代目松本幸四郎)や中村万之助(現・二代目中村吉衛門)と舞台『蒼き狼』に出演することになった。そこで初めて自分の人気に気づくことに。
「楽屋を出たらすごい人だかりで、染五郎クンは人気があるんだな、と思っていたんです。ところが、その人たちが自分に向かって突進してきたんです。服も髪もちぎられて、グチャグチャにされました」
本人は自分の人気にまったく気がついておらず、そんなことを意識することもなかったというが、そのモテぶりは半端じゃなかったようだ。
「僕は男前だという自覚はないんだけど、30歳前は女性を口説いたことは1度もないんです。みんな向こうから寄ってくるんですよ。いま考えると本当に懺悔しなきゃいけないほどメチャクチャやっていました。女性の怨念があったら、殺されちゃうでしょうね」
当時のヤンチャぶりをこう振り返る。
当然、マスコミに取り上げられる機会も多くなり、居候していた長谷川宅にも毎日のように取材が押し寄せた。当時は長谷川もまだまだ人気が衰えてはおらず、雑誌などの取材となれば自分が主役と思うのは当然のこと。
「カメラマンが長谷川じゃなくて、僕を撮るんだよ。だから長谷川はだんだん機嫌が悪くなっちゃって、しまいに取材は外でやっていました」
そんなことが続いたある日、長谷川は林にこう呟いた。
「お前な、芸能界の男を全部、敵に回したな。俺も敵だぞ」
それを聞いた林は、こんなうれしいことはない、と思ったという。
「だって、天下の長谷川一夫を敵に回す役者になったということですよ。この言葉は僕の一生の宝です」
その後も林の人気は衰えることがなく、NHKの大河ドラマや手練れの浪人を演じた『必殺仕掛人』(テレビ朝日系)など、多くのヒット作品に出演し、時代劇には欠かせない役者となった。