いよいよ、世界王者の羽生結弦が’15 ―’16 シーズンに向けて始動する。
「羽生クンは例年どおり、7月はアイスショーに参加。それ以外は、主に地元の『アイスリンク仙台』で深夜に練習しています。前シリーズでの傷もかなり癒え、今月下旬にはカナダ・トロントに向かう予定です」(スポーツ紙記者)
今季もまた、羽生らしい強気でいながら華麗な演技が見られそう。
「8月6日には現地でマスコミとの懇親会が予定されています。久しぶりにじっくりと羽生語録が聞けそうです。昨季から“絶対王者”への思いが強いだけに、新技の4回転ループへのこだわりだけでなく、公開練習でベールを脱ぐ可能性も」(民放スポーツ局デスク)
ただただ待ち遠しいばかりだが、3年前の’12 年夏、羽生には苦い思い出が。カナダへの旅立ちを前にして、10歳のころから師事していた阿部奈々美コーチの前で大粒の涙を流しながら、「仙台から離れたくない」と訴えたというのだ。
「地元では“号泣事件”として有名です。ゆづクンはカナダのブライアン・オーサーコーチのもとへ留学することを、自分の口で直接、阿部コーチに伝えたんです。突然、“僕は行きたくないんです”と言って泣き崩れる教え子を前に、彼女も言葉を失うほど驚いていました。見ているこちらも悲しくなってしまうほどの別れの瞬間でした」(地元のフィギュア関係者)
本来ならば、連盟などが中に入って、選手とコーチの調整をしなくてはいけないはず。それをなぜ、まだ17歳だった羽生が不本意な決断を、信頼を寄せるコーチに自らの口で伝えねばならなかったのか?
‘11 ―’12 シーズンといえば、羽生が全日本選手権(3位)のフリーで高橋大輔を抑えてトップとなり、初めて世界選手権の切符をつかんだとき。世界の舞台で羽ばたき始めたばかり。
「ゆづクンの両親とスケート連盟との“溝”がいちばんの原因でしょう。当時の連盟の強化部門は(高橋)大輔クンと(浅田)真央ちゃんに重きを置いて、羽生サイドから見ればないがしろだった。ぜんそくの持病があるゆづクンのケアにも消極的で、羽生ママが自費で同行。現地での大会チケットさえ手配していないありさまでした。ANAと所属契約できたのも、オーサーの下で飛躍した’12 ―’13 シーズン後で、連盟のスポンサー探しにも疑問が残る。そのうえ、東日本大震災で拠点のリンクが閉鎖。息子の将来を心配した両親が元連盟関係者に相談し、カナダ留学を決めたんです」(スポーツライター)
ただ羽生にしてみれば、やるせない思いが募り、地元の反応もシビアであった。
「彼にとっては被災した仙台を離れるということがいちばんの心残りだったでしょう。地元にとっても大きなショック。特に、羽生の母校であり、地元スケート連盟の役員もいる東北高校サイドは、しっかりバックアップしてきたという自負もあり、猛反発したものでした」(前出の地元関係者)
震災後、専属リンクを失った羽生は、アイスショーに60回も出演し、練習不足を解消したほど。震災の影響で思うように練習ができないことを“大義名分”に、羽生サイドはなかば強引に、羽生本人にカナダ留学をさせざるをえなかったようだ。
「当時は“世界的なコーチの下で技術を磨くべき”、いやいや“本人の意思が大切”など、賛否両論が。連盟の強化部門がちゃんとイニシアチブをとっていれば、阿部コーチや地元との亀裂は生まれなかったはずですよ」(前出のデスク)