「どういうことなのか説明してよ!」
目の前でにらみつけているマキに、ヨウイチは答えられずにいた。鬼の形相、とはまさにこのこと。この顔で仕事をしていたら、彼女の働くアクセサリーショップはすぐに潰れてしまうだろう。
「ほら、早く説明して」
浮気した本当の理由を説明したところで、マキが納得することはないだろう。マキとこのアパートに住み始めて4年。同棲をするカップルは高確率でそうなるというが、ヨウイチとマキも"セックスレス"になっていた。もう2年はマキを抱いていない。
もちろん愛情が無くなったわけではない。マキほど気が合う女性はこの世にひとりとしていないとも思う。
服の趣味、食べ物の趣味、好きな音楽、好きな映画。マキの悪いところだって、今では理解できる。どこに行っても何をしても、何も考えずに楽しめる。いずれはマキと結婚をして、幸せな家庭を築くことが、今のヨウイチの夢でもある。
しかし、それとこれとは話はべつ。
もちろん何度も努力はした。努力をすればするほど、ヨウイチの体は反応しなくなっていった。愛情と性欲は、恐らく全く別の感情、なのかもしれない。ヨウイチが浮気をした理由は、まさにそこにある。
28歳の健康な男性が、2年もセックスをしないでいられるであろうか? 答えはNOだ。
「浮気するぐらいなら別れりゃいいじゃん」
と言う同僚に、ヨウイチは数十分にわたり反論したことがある。
別れたくないから、浮気をするのだ。セックスレスで別れるカップルは沢山いるだろう。
相手に欲情しなくなったことがきっかけで、他のだれのほうが自分に合うのではないか、欲情できるのではないかという発想が生まれ、別れる。そうならないための浮気なのである。性欲がきっかけで愛するマキと別れるくらいなら、性欲は別で処理する。
「だったら風俗に行けばいいじゃん、それなら浮気にならないだろ?」
そう言う同僚への反論は5秒で済んだ。
「そんなお金があったら、マキと美味しい物でも食べに行くよ」
同僚の呆れ顔で、この話題は終わった。
「黙ってないで、答えなさいよ! なんで浮気なんかしたの!?」
ヨウイチは恨めしそうにテーブルの上に置かれたマキの携帯をにらむ。細心の注意を払っていたはずなのに、浮気相手に送るはずのLINEをマキの携帯に送ってしまった。凡ミスとは本当に恐ろしい。
「なんでなのよ! なんで!」
いくら"似た者同士"とは言っても、ヨウイチの考えを女性であるマキが理解してくれるとは考え辛い。
なんとかしなければ。
浮気がバレてマキにフラれてしまっては本末転倒である。
もしもマキと別れることになったら、もうこの瞬間から生涯マキの笑顔を見ることはできない。手を繋いで散歩することも出来なくなるし、チャンネル争いだって出来なくなる。マキと過ごすこのあたたかい生活が全て無くなってしまう。
しかし、それも全て自分が招いたことだ。
2年以上彼氏に抱かれない、マキも辛かったに違いない。寂しかったに違いない。傷ついていたに違いない。なのに自分は外に快楽を求め、それによってマキをさらに傷つけた。ごめん。マキ、ごめん。本当に……。
気が付くと、ヨウイチの目からは涙が流れ出ていた。涙と共に嗚咽交じりの声があふれ出す。
「ごめん…うぅ…うえぇ……」
先ほどまでの、浮気の理由を冷静に考えていたヨウイチはもうそこにはいなかった。マキを失うことへの恐怖と、マキへの申し訳なさで、浮気の説明どころか感情しか出て来ない。
「うぅ…うえぇ……別れたく……ないよぉ……」
正座していたヨウイチは、膝と手を地面に着き、出来損ないの土下座のような体勢で許しを請う。床に涙なのか鼻水なのか、水溜りが出来ていく。
ふわっ
そんな音が聞こえた気がした。シャンプーの匂いがする。
マキがヨウイチを優しく抱きしめていた。
そのあたたかさに、余計に涙が溢れる。
「なんでこんなに怒るかわかる? してくれなくても、浮気されても……ヨウイチの事、嫌いになれないからだよ……」
震える声で、マキも泣いているのがわかる。ヨウイチはマキの腕にしがみつく。
「マギ……ごべん……!! うぅ…」
安心感と愛しさ、罪悪感と情けなさ、色々な感情が混じり合い、ヨウイチの涙は止まらない。
ティロリン。
テーブルの上のマキの携帯が鳴る。反射的に目をやったディスプレイには、LINEの文面が。
《ユウジ君:今日は泊まりに来ないの?》
もしも立場が逆だったら。
先にマキの浮気がバレていたら、自分が浮気をしていたとしてもヨウイチも激昂していただろう。
彼女も、2年間性欲を我慢することは出来なかった。しかしヨウイチにはわかる。マキも自分と同じだ。幸せを守るために浮気をしたのだ。お互いの愛情は、ちゃんとここにある。
ヨウイチはつくづく思った。
やっぱり、ふたりは"似た者同士"だ。
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