家庭環境に恵まれない子どもたちに手料理をふるまい続ける女性がいる。豊かなはずのこの国で、空腹から非行に走る少年がいるからだ。これまで200人以上の更生を支え、いつしか“広島のマザー・テレサ”と呼ばれるようになった中本忠子さんだ。
毎日、アパートの廊下まであふれかえる靴に驚いた近所の田村美代子さん(68)が事情を知り、手伝うようになる。毎月10万円にもなる費用は、10年間は自費でまかなった。 その後少しずつ活動が知られるようになり、民間財団や共同募金会などの支援を受けられるようになった。
自宅での活動に加え、'92年ごろには公民館での食事会も始めた。非行少年を冷たい目で見がちな地域住民と、普通の大人を知らない子どもたちとを引き合わせるためだ。
食事会は2003年に『食べて語ろう会』という名称がつき、月2回の定期開催となった。こちらも子どもたちは無償で参加できる。
ある時、友達に連れられて中本さん宅にやって来た少年が、のど元まで詰め込むような異様な食べ方をした。
「連れてきた子に後で聞いたら、“あいつは俺を万引きに誘いに来たんじゃ。けど、腹いっぱい食べたら、万引きする気がなくなったって帰ったよ”と言うてね」
家には食べ物が一切ないという子どももいる。そんな子には朝食用の弁当も作り、帰りに持たせる。
「いま、子ども食堂が全国に広がりつつあるけど、お金を取りよるところもあるでしょう。うちに来るのは帰りの電車賃やバス代もない子じゃけん、数百円でも取ることはできんわね」
8年前から通う「常連」のリキさん(21=仮名)も、中本さんに救われたひとりだ。親が刑務所などで家にいなかった時期があり、3歳上の兄がモヤシを万引きするなどして食いつないだ経験を持つ。
中学生の時、同級生が中本さんに「俺よりかわいそうな子がおるんじゃ」と引き合わせてくれたという。非行に走ったこともあるが、中本さんは見捨てずに支えてくれた。
リキさんにとって中本さんはどんな存在か聞くと、こう即答した。
「自分のおばあちゃんです」
リキさんはいま、自立を目指している。
「少年院に行った時の審判でばっちゃんが来とって泣きました。もう心配かけたくない」
中本さんが関係機関に掛け合い、アルバイトの職を得てひとり暮らしを始めた。まだ自力で食べていける余力はない。この日もカレーライスを2杯平らげた後、生姜焼き丼をおかわりした。
中本さんは、リキさんのような少年が社会に見捨てられている現状に憤る。
「居場所のない子は、広島だけじゃなくて全国どこにでもおると思うよ。表面化しとるかどうかだけ。それなのに行政も裁判所も、食べられない人が実際におるという末端の実態を知らんのよ。あまりにも怠慢じゃろう」
中本さんは昨年8月、『食べて語ろう会』をNPO法人にした。自身に万一のことがあった時に活動を引き継いでもらうためだ。会員には、中本さんが活動を始めるきっかけとなった元シンナー少年も名を連ねる。
現在では妻子がいて人材派遣会社を経営しており、会の活動を支える存在だ。中本さんは、リキさんもいずれは彼のようになれると信じている。
更生を支えた少年少女は200人以上。泣いたり笑ったりで忙しい“広島のマザー・テレサ”には夢がある。今後は、少年院から帰る場所のない少年などを迎え入れる施設を作りたいという。
なぜそこまで人のために尽くせるのか。中本さんは「答えようがない」と笑いながらも言葉を続けた。
「よその子であれ、わが子であれ、子どもはみな幸せになってほしいし、よくなってくれることを念じてやっているだけ。更生のためにいちばん手っ取り早いのは、食べること。30年以上やっていても、まだまだ子どもから教わりたいことがいっぱいあるし、終わりはないよ」
取材・文/秋山千佳(フリーライター)