元職員――。約5か月前、今年2月19日までそこで働いていた元職員にしてみれば、犯行現場は下見の必要性のない持ち場同然の場所だった。
7月26日午前2時ごろ、職員を縛る結束バンドと凶器となる複数の刃物を手に、男は元の職場である障害者福祉施設『津久井やまゆり園』の窓ガラスを割り、忍び込んだ。
犯行時間は約50分。ベッドで寝ている障害者を次々に無差別に襲い、19人を殺害、26人を負傷させた。
虐殺にも似た大量殺害に、施設の設置者である神奈川県の黒岩祐治知事は怒りをぶつける。
「衝動的な犯罪ではない。深夜に(施設に)侵入して、ひとつひとつ扉を開け、そこで寝ている人を1人ずつ刺す。それだけの残虐性というものを、私は信じられない」
戦後最悪の大量殺人事件を起こした植松聖容疑者(26)は、犯行後の同日午前3時ごろ、津久井警察署へ出頭した。
最初から逃げるつもりもなく、「障害者470名を抹殺」と今年2月に衆議院議長あてに書いた手紙(後述)にあった《見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡をとれなくします。職員は絶対に傷つけず、速やかに作戦を実行します。2つの園260名を抹殺した後は自首します》という記述から、犯罪は計画的だ。
近隣住民は、当日の様子を明かす。
「朝、娘から電話で“お母さん、外を見てみなよ”って。そしたら施設の前の道路一面に救急車が並んでいたのよ」
子どものころの評判
惨劇の現場から700メートル離れた自宅でひとり暮らしだった植松容疑者は26年前、赤ん坊のころに引っ越してきたという。父親は都内の小学校の図工の教師、母親はイラストレーターで、父親は自治会活動に積極的に参加していた。
「腰が低く、あたりのやさしい人でした。教師だから子どもの心をつかむのがうまいのよ。キャンプなんかでは、一生懸命みんなをまとめてね」
近隣に住む女性はそう証言する。母親の人柄についても「明るい人」と話す。
植松容疑者の、子どものころの評判も、極めていい。
「サト坊はね、素直で礼儀正しい子だったね。会えば“こんにちは”って。活発に外で遊んでいる感じの子だったな」
地元の小中学校に通い、高校は都内の私立高校に進学。中高とバスケットボール部に所属し、父親と同じ教員になることを目指していると近所の住民に屈託なく話していたという。
「彼女と手をつないで歩いているところを見たっけね。“彼女なの?”って聞いたら“同級生ですよ”ってはにかんでね。楽しそうでしたよ」
と近隣住民。思春期になると、おっくうになりがちな隣近所とのあいさつも、子どものころと変わらず続けていたという。
そんな好青年が、大量殺人鬼になるなんて誰が想像しただろうか。
同級生の女性は「怖くて手の震えが止まらなくて」と事件の衝撃におののき、言葉を詰まらせた。
「こんなの、私たちが知っているサトくんじゃないですよ。どうして……」