犠牲になった人生を考えるのが“小説”
今年は戦後71年目。夏はさまざまな出版物やテレビ番組などを見て、戦争について考える機会も増える時期です。
「戦争が終わってからずいぶん時間がたちました。そうすると社会は“風化させてはならない”と、考えますね。でも、風化するというのは忘れることだけではないんです。戦争というものがひとつのパターンにイメージづけられてしまう“類型化”、そして“情緒的”になってしまうことも一種の“風化”です。戦争はかわいそう、悲しい話と類別されていく。これも風化だと思うんですよ」
風化させないためには、戦争が起こると一体どんなことが待っているのかを“小説”という形で読み、想像力を働かせることが大事になってくるのです。
「僕は戦争を経験していないけれど、幸い年齢的にいって戦争体験者の話を直に聞いている世代なので、そういう耳に残っているものっていうのがわりとあるんです。実際に戦争を体験した人でないと戦争は書けないと言う人もいるし、本当はそうなのかもしれない。
だとすると、平和な時代がくれば戦争は忘れられてしまうことになる。でも、それはよくないことだと思う。だから誰かが、何らかの形で、戦争というものをできるだけリアルに書いていくって作業が求められているんだと思いますね。そういう意味では、僕が今のこの時代になって戦争小説を書くというのは、自分の使命じゃないかなと思うんです」
しかし浅田さんは「これは戦争小説ではなく、反戦小説なんです」と言う。
「反戦の気持ちを持っている方には、この小説を“戦争の実態”として読んでいただきたい。反戦って口で言うのは簡単だけれど、たぶん実感としてわかっていない人が多いと思います。反戦は、ただ暴力否定という意味だけではないんですよ。それがどういうものなのかを、この小説の中から具体的につかみ取ってくれたらありがたいなと思います。
僕は歴史家ではなく小説家で、小説家っていうのは人間を描くものであるから、こういう形でしか戦争を描くことはできません。だから、これは作り話であるけど、僕なりにいろいろ調べて、想像して、実態はこういうことだったんじゃないか、と書いた小説であるわけです。
そういう意味では、歴史書を読むよりも、戦争がわかるんじゃないかなと思います。そして“戦争”という漠然としたものではなく、その戦争で犠牲になっていったひとりの人生というものをよく考えなければいけないと思うんです。戦争は暗くて重たいけど、目を背けたらいけないんです」
『金鵄のもとに』に出てくる傷痍軍人。幼いときに上野で見たことがあり、とても怖かったことを思い出しました、と浅田さんに伝えると……。
「身体が不自由になって、ああするよりしょうがなかった人もいる。でもね、中には物乞いをするほかなくなった自分の不幸をさらして、世界の人に無言の訴えをしている人たちも大勢いたと思う。僕も子どものころ傷痍軍人に恐怖感を持っていたけど、彼らの存在と恐怖感が、僕に小説を書かせているんです」