非社会的な存在が親になり、虐待死につながっている
暴力団員や暴走族など、“反社会的”と言われる人たちは、これまでもずっと存在していたと石井さん。
ですが、彼らは彼らなりの人間関係の中でもまれることで、人とのつながり方を学びとることができていました。コミュニケーション能力はむしろ、熟練の域にあるとさえ言えたのです。
「ところが、今、圧倒的に増えてきている“非社会の人”というのは、“存在する場所が持てなかった”人たちです。生まれたときから存在を否定されて育ってきたから、人とのつながり方がわからない。だから誰かと仲よくしろと言っても仲よくするしかたがわからないし、子どもの愛し方もわからない。こうした非社会的な存在が親になり、虐待死につながっている。昔も子殺しはあったと思いますが、殺した理由は、20〜30年前とは全然違うと思います」
その言葉どおり、本書で紹介されている親たちの生育歴には、慄然とさせられるものがあります。
虐待親たちもまた、虐待され続けてきた
重度の統合失調症を発症した母親のもと、父親からのケアもなく壊れていく母親を見つめ続け、嫌なことからは目をそらすしか自分を守るすべがなかったS容疑者の幼年期。
シングルマザーとなり、ファミレスで必死に稼いできたお金を実の母親に情け容赦なく取り上げられたすえ、中絶できる時期を逃し、2人の嬰児を殺害してしまった下田市嬰児連続殺害事件のT容疑者。
そして捨てるようにして乳児院や児童養護施設に預けられ、一時帰宅の際には貯めていた小遣いや児童手当を取り上げられていたという足立区うさぎ用ケージ監禁虐待死事件のM容疑者。
そこまで読み進めて初めて気がつくのです。
憤慨し、鬼畜の極みと感じていた虐待親たちもまた、虐待され続けてきた哀れな非社会的な子どもたちであり、親子のつながり方がわからず、“飽きたカブト虫を捨ててしまう子どものような愛し方”しかできなかったのだ、と。