——そうした記者たちのなかでも、中村さんが突出して活躍できた背景には、何か特別な努力があったのでしょうか。
「僕はすごく文才があるわけでもないし、賢いわけでもない。人間関係だって、そんなに得意なわけでもないです。何ができるのかといえば、人一倍努力するしかなかったんですよね。
そもそも、スポーツ紙や新聞社の番記者たちに比べ、週刊誌の記者というのは、仲間外れにされてしまうんですよね。普通の手段では取材をさせてくれない。だから、始発から終電まで聞き込みや張り込みもしました。そんなのね、頭が悪くないとできないですよ(笑い)。
でもそういった恵まれていない環境でも、頑張ってやっていれば、運命の扉が開く瞬間があるわけです。これはきっと記者だけではなく、どんな仕事でも同じだと思います」
——聞き込みや張り込みをなさってきたいうことですが、情報を集める際、中村さんがとくに意識していることはありますか?
「人に会うことと、現場に行くこと。まずはこの二つです。ネットの場合は、鵜呑みにすると痛い目をみることが多い。お茶をするなり、ご飯食べたり、そうしたことのなかからの方が、きちんと質量を感じる情報を手に入れられることが多いんじゃないかなと思います。
だから、実社会で人と会ってコミュニケーションをとり、情報をとってくるような仕事をしている人は、これからもっと活躍するようになるんじゃないかな。上辺だけの情報ではなくて、リアルな情報をとってこれるということは重要ですよ」
——中村さん自身がとってきた、そのリアルな情報のなかには、ジャニーズにまつわるものもあったようですね。
「ジャニーズと僕には因縁があるんですよ。ジャニー喜多川社長の"ホモセクハラ疑惑"は、『週刊文春』がキャンペーンをはって取材をしていましたからね。1999年かな。もちろん僕も取材をしていました。結局、裁判になって、同性愛行為をされた少年を法廷に連れて行き、証言してもらいました。
そして、最高裁で社長がそういった行為をした事実が認められたんです。だから僕は、ジャニーズにしてみれば、もっとも嫌いな敵かもしれませんね。けれど、僕はジャニーズのタレントさんのことを嫌いではないんですよ。
もちろん、それよりも重要なのは、そんな重大なことなのにもかかわらず、ほかのメディアがオール無視したということ。事実はもちろん、少年たちがどのような目にあっていたのか、どこも報じませんでした」