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生きる意味だけではなく、死ぬ意味もあると思っています」

 川嶋先生のもとに、あるとき胃がんが再発した80代男性がやって来たときの話。

「彼は、入院はできないし、絶対に死にたくないと言いました。全盲の息子と認知症の妻がいるのに、そんな私がなぜがんに……と嘆きました。

 統合医療の診察でいつもするように、彼の家族についていろいろと聞くと、全盲の息子さんは盲学校でマッサージ師の資格を取ったにもかかわらず、働かずに引きこもり、視覚障害者用のパソコンで1日じゅうインターネットをしているというのです。

 私は少し厳しいことを言いました。“あなたは最も残酷な親かもしれません。親の義務とは、子どもを独り立ちさせること。でも、もしいまあなたが死んでしまったら、息子さんは1人で生きていくことができないかもしれない。マッサージ師の資格があるのに、ニートを許しているのはあなたで、息子さんは自分の甘えに気づいていない。

 気づくとすればあなたが死んだとき。だから死につながる病気になったのだと考えられませんか”と。生きる意味についてはよく問われますが、私は死ぬ意味もあると思っています。そして、それを病が教えてくれるのではないか、とも」

「準備をしておくと、潔く死ねますよ」

 一方で、手術するくらいなら死を選びます、と治療を拒んで亡くなった40代の乳がん患者をいまも忘れることができないという。

「手術をしていれば、彼女はいまでも生きていたかもしれません。最期に本人が残した手記には“自分の人生は最高だった、先生ありがとうございました”と綴られていました。彼女のお母さんからも手紙をいただき、“娘の意思を尊重してくれてありがとうございました”とあった。

 また別の家族の話ですが、“何かあったときには延命治療はせずに死なせてくれ”と日ごろから母親に言われてきた娘さんが、それに従って延命治療をせずに、母親は亡くなりました。すると、娘さんは親戚じゅうから非難されてしまったのです。もし母親がその意思を文書化していれば、トラブルは避けられたでしょう。

 このように、死への価値観は人それぞれ。ですから、1度でも自分の死について考えてみるべきなのです。死ぬのがいやならその理由や、なぜ生きたいのかを考えてみましょう。また家族や近しい人に伝えておくべきことは、きちんと伝えておくとか文書に残しておきましょう。準備をしておくといまやるべきことが明確になるし、潔く死ねますよ。

 ちなみに私はすでに自分のお葬式の演出まで考えています。それに死んだら、すでに向こうの世界にいる母親にも会えるし、死ぬのが楽しみだったりもしてね。ってこういうことを考えていると、長生きしちゃったりするんですよ(笑)」

取材・文/若山あや

<profile>
かわしま・あきら 1957年、東京都生まれ。東京有明医療大学教授、一般財団法人 東洋医学研究所付属クリニック自然医療部門担当医師。医学博士。北海道大学医学部卒業後、東京女子医科大学大学院医学研究科修了、ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院などを経て、現職に。専門は、腎臓病、膠原病、高血圧など