昨年、惜しくも亡くなってしまった祖父との対局。6歳当時からすでに風格が
昨年、惜しくも亡くなってしまった祖父との対局。6歳当時からすでに風格が
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 祖母と孫の何気ないふれあいからも、彼の非凡な“集中力”が感じられる。ここまでの才人であれば、ちょっとは天狗になってもよさそうだけど、これも育子さんの教えによるところが大きいそう。

「いま連勝中ですが、聡太は決して誰に勝ったからといって喜ぶことはない。それよりも“もっと強くなりたい!”と思っているだけなんです。だから、昔からの目標であった羽生三冠に勝っても喜んでいなかった。小さなころから聡太には“勝っておごるな、負けて腐るな”とは教えていたからね」

 そんな一面を聞くと、ポーカーフェイスで文科系の印象が強いけど、中身は意外や意外、そうでもないみたい。

「実は運動も得意で、特にかけっこは速かったです。小学1年生くらいからは家の前にあるクロガネモチの木に登ることが好きで、よくそこで遊んでいましたね。家庭訪問の日には先生の姿を上から見下ろそうと、木の高いところまで登って、うれしそうにしていました」(育子さん)

 ヤンチャぶりは、前出の文本先生からもこんな証言が。

「長時間ずっと稽古していると暴れたくなったのでしょう。終わりの挨拶とともに、プロレスを始めていました」

 プロレスの闘争心も“本職”に生かされているといったら、ちょっと大げさ?

「しかし、彼の負けん気はものすごいです。将棋でも負けたときは毎回、泣いていました。歴代の生徒の中ではいちばん泣いた生徒です。涙もぬぐわず、声をあげて感情を表に出していました。“よく泣く子は強くなる”ということですね」(文本先生)

 天才は一朝一夕で天才になったわけではなく、誰よりも汗と涙を流していたのだ。

「“10年に1人の逸材”だとずっと言ってきたけれど、一昨年、無意識に“100年に1人の逸材”であると言ってしまいました。過大評価しすぎかなと思いましたが、今では大げさな言葉ではないと思っています」(文本先生)

 伝説の目撃者になるのは、今からでも遅くない。さわやかな旋風を巻き起こし続ける藤井四段に、これからも注目!!