―よもやま話で、下積み時代の苦労話をされたことは?
小日向 大杉さんが転形劇場にいたときに、僕は自由劇場にいて、(お金がなく)食えなかったけど、大杉さんは海外公演をされて、それなりに食えていたみたいです。
大杉 そうですね。ぎりぎり役者で食べていたと思います。
でんでん 何年前の話?
大杉 もう30年以上も前になりますかね。
小日向 僕は劇団を解散したときが42歳。ほとんど貯金もなかった。21年前って、そんなに前じゃない。大杉さん、21年前は?
大杉 劇団が解散した後は、映画やテレビが中心でしたね。
でんでん 僕は30代前半ごろまで、タクシーの洗車とか、ガラス磨きとか、バイトもしていましたよ。質素な生活で大丈夫なタイプでしたから。バイトバイトと、躍起になって、そんなにしていなかったです。
小日向 してないの? 僕はやりましたよ!
大杉 僕もアルバイトは、舞台の大道具くらいかな。当時、住んでいたアパートは1畳1000円だったからね(笑)。6畳ひと間、6000円ポッキリ!
小日向 すごいね、それ。
大杉 吉祥寺から歩いて6分。築年数は古かったけど、“キラク荘”って、いい名前でしょ。当時のバイト代が、1日5000〜6000円で、1日働けば。部屋代が払えた。必要なときだけバイトをする生活。今、考えたら本当におおらかな時代でした。でんでんさん! わかりますよね。
でんでん 僕は友達がタクシー運転手をしていて、朝3時ごろ起きて、営業所に行って、1台1000円で洗車をしていました。4、5台やれば、それで食べられました。麻雀にも行っていましたよ。